Through a Lens Darkly: Black Photographers and the Emergence of a People / 日本未公開 (2014) 1346本目
『Boyz N The Hood / ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)』などで知られるジョン・シングルトンが、完成後に制作総指揮として参加した作品。小規模のアワードに参加した後、PBSのインディペンデンス・レンズにて放送。それを録画しておきました。黒人の被写体としてのイメージ、そして黒人写真家の歴史を紐解くドキュメンタリー。監督のトーマス・アレン・ハリスはハーヴァードカレッジ卒業のアート系映像作家。
写真がアメリカに入ってきてから、映画同様に被写体としての黒人のイメージは最悪だった。猿と揶揄するイメージ、ダーキーと侮辱する写真、なぜかいつもスイカと一緒に笑顔で写る男の子... そんなイメージを語る黒人の人々は「歴史が嫌いだった。いつも(黒人に)否定的で」と語る。しかし監督のハリスは自分の家族アルバムを見て、そんなイメージとは正反対であったと回想する。歴史の教科書や博物館で見た黒人のイメージと自分の家族アルバムは全くの別物であったと。写真にまつわる黒人、そして写真家の姿を追う。
独立戦争前に撮影された写真を見つける。パスポート写真ほどの大きさだが、美しい額縁に入っており、折りたたみの窓のようなものが付いた貴重な写真である。数はいくつかある。それを開いてみてびっくり。奴隷であろう黒人の姿であった。そしてその写真は男であろうが女であろうが裸であったのだ。黒人が劣っている事を証明するために撮られた写真だったのだ。撮られた彼らの表情は苦虫を噛み潰したような顔であった。興味だけのために晒され、そのイメージは残された。
一方で、奴隷解放に精を尽くしたソジャーナ・トゥルースは自分の写真を残し、強い女性戦士としてのイメージを植えつける為に写真を利用した。同じく奴隷解放運動家のフレデリック・ダグラスも勇ましくそして小奇麗な姿で、100枚以上の写真を撮り活用した。そして、奴隷時代のもっとも有名な一枚であろう、逃亡奴隷ゴードンの背中に刻まれた無数の鞭の傷跡の写真は、奴隷の過酷さと彼のマスターの非道さの全てを物語っていた。
1839年、フランスで発表されたダゲレオタイプは瞬く間にヨーロッパに伝わり、アメリカにも入ってきた。そしてジュルズ・リオンというパリ生まれの黒人がアメリカのフランス文化が色濃いニュー・オリンズにてダゲレオタイプのスタジオを1940年に設立している。彼のスタジオがアメリカの写真の歴史の第一歩だったのだ!
そんな黒人と写真の歴史を追うのが、デボラ・ウィリスという写真家であり、そしてNY大で写真学の教授でもある人物。そんな彼女の著書がこちら↓。
Reflections in Black: A History of Black Photographers, 1840 to the Present
- 作者: Deborah Willis
- 出版社/メーカー: W W Norton & Co Inc
- 発売日: 2002/10/28
- メディア: ペーパーバック
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もちろんゴードン・パークスやジェームス・ヴァン・ダー・ジーも語られております。
しかし...ジムクロウ時代の黒人が木に釣られてリンチされている写真がポストカードとして人気だったとは知らなかった...orz いくら何でも残酷過ぎる。というか、受け取ったらかなり引く筈だが、当時は違ったという事だもの。ああ酷い!