Jasper, Texas / 日本未公開 (2003) (TV) 1137本目
正直、まだ怒ってる。一生、消化できそうにもない。テレビでこの件について話し合いがされればされる程に、怒りで感覚が麻痺してしまう。無である。この世に正義なんて存在しないという、喪失感。
そんな時に思い出したのがこの映画。この映画は、タイトルのテキサス州ジャスパーという田舎の小さな町で起きた事件。殺されたのが、ジェームス・バード・ジュニア。当時49歳の黒人。ジェームスは夜にヒッチハイクをした。その時にトラックの荷台に乗せてくれたのが、ショーン・ベリーという白人。そしてそのトラックにはベリーの友人のジョン・ウィリアム・キングとローレンス・ラッセル・ブリューワーという別の白人2人も乗っていた。夜の暗い田舎の道路を、車のヘッドライトだけでひたすら走る。ベリーは突然トラックをわき道に止める。ビールが飲みたいといい、他の2人やジェームスにもビールを分けた。ジェームスはありがとうと言うと、いきなり後ろからビール瓶で頭を殴られた。それからは、3人で殴ったり蹴ったり踏んづけたりと暴行が繰り返される。バットでも殴られた。気を失ったジェームスが気づいた時には、チェーンで繋がれたトラックで引きづられていて、その強烈な痛みで意識を取り戻したのだった。時既に遅し。次の朝、保安官が現場に駆けつけた時には、ジェームスの頭は無く、そして片方の腕も無かった。現場に駆けつけた保安官ビリーを演じたのが、ジョン・ヴォイド。道路についていた跡と、ジェームスの足首の跡から、ビリーはすぐにジェームスが引きづられて殺された事を理解するのだった。ビリーは、ホーン市長(ルイス・ゴセット・ジュニア)に連絡し、ホーンも現場に到着。これからこの小さな町ジャスパーが直面していく人種問題に、2人は挑むのであった。
この映画の加害者のジョン・キングとローレンス・ブリューワーは、前科持ちで2人は牢獄にて出会い友人となった。確か年は10歳近くも違う。ジョン・キングはその牢獄で黒人からレイプ被害に遭い、白人至上主義のグループに助けを求めて入会。ブリューワーもキングと共に入会。ベリーが入会していたという情報は見つからなかった。そしてベリーが白状した事で他の2人が逮捕。ベリーは事件の殆どはキングとブリューワーによって行われたと話した。
事件が明らかになると、この小さな町は真っ二つに割れてしまう。そしてこのニュースが全米で知れ渡るようになると、ブラック・パンサー党がジャスパーにやってきて、銃を持って行進すると言い張る。危険なので止めさせようとするも、止める手段もなく、パンサーは町を練り歩く。それを知ったクー・クラックス・クラン(KKK)が、ならば俺たちは裁判の日に行進する!と言い出した。これまたそれを知ったブラック・パンサー党が、ならば俺たちも同じ日にまた行進する!と言いつける。ジャスパーの町はそれじゃなくても大変なのに、益々面倒な問題がやってくる。
そんなジャスパーの町を沈静化したのは、教会の牧師達だった。ホーン市長に協力し、自らを「市長の機動部隊(Task Force)」と呼んだ。その市長の機動部隊は、黒人牧師だけでなく白人牧師も加わっている。彼等の力添えもあって、ジャスパーの町ではパンサー党とKKKがちょっとしたイザコザを起こしたが、市民達が暴動を起こす事は無かった。
そして裁判が始まる。彼等が獄中で書いた手紙やタトゥの物的証拠があり、ヘイトクライムだという事は明らかとなった。そして、検察側はホラー映画でもさすがに描けないような、恐ろしいジェームスの死体写真を提示(映画にもその恐ろしいシーンがある)。陪審員達(映画の中では黒人とアジア人が一人ずつ混じっていた)は、白人至上主義グループに入っていたブリューワーとキングに、死刑の判決を下した。そして差別主義者という証拠に欠けたベリーには終身刑。
昔は(今でも?)、差別主義者という証拠があっても、死刑になんてならなかった。ようやくテキサスにて、正義が勝ったのである。この映画で、検事(白人)がベリー役が白状した時に言った言葉が忘れられない。「あなたが仕出かした事が原因で、苦痛で目が覚める日が必ずやってくるぞ」。無罪といわれた時に笑顔を見せたジョージ・ジマーマンにそのまま捧げたい言葉である。
ちなみに感想にも書いたが、この映画の監督の名前は奇しくも被害者となったジェームス・バードと同じ「バード姓」のジェフ・バード。ジェフ・バードはお父さんの名前が「ジェームス・バード」で、何だか奇遇だな?とは思っていた。この映画を引き受けた時には知らなかったそうだが、スミソニアン博物館に勤務している従兄弟が家系を調べたら、なんと被害者のバード家と監督のバード家は繋がっていたのが分かったそう。凄い偶然。奇跡。
そしてこの映画の最後は、「ジョン・キングとローレンス・ブリューワーの死刑が実行されれば、テキサス州で白人が黒人を殺して死刑になるのは、1854年以来となる。しかしその時はお気に入りの黒人奴隷を殺された白人が、権利問題で訴えて死刑なっており、殺した罪ではなかったのだ」と終わっている。この映画がテレビで放送されてから8年後、前科もあるのでブリューワーの死刑が2011年に実行されている。キングに関しては、まだ審議中。
この手の映画やトレイヴォン・マーティンの無残な死を考えると、いつもこの映画「The Trials of Darryl Hunt / 日本未公開 (2007)」のラリー・リトルという地元市会議員の言葉が蘇る「差別は真実より強い」。残念ながら絶対にそうなのだ。でもある人々は違うと言い張る。黒人であった事は関係ないと。興味深いツイートを見かけた。「なんでNRA(全米ライフル協会)はトレイヴォン・マーティンは銃を持っていれば、この悲劇は回避できたとか、黒人青年達よ銃を持て!とは言わないんだ?」。どうして?どうして、フォックスのヘラルド・リヴェラは「黒人とヒスパニックの青年はフード帽を止めるべき」と事件後に言って、白人青年やアジア人はなんで良いの?ジョージ・ジマーマンが警察に電話かけた時に言っていた「あいつ等」って、誰の事?この映画のキングやブリューワーみたいに正々堂々と認めないだけ。今あるのは、カラー・ブラインドなグレーな世界。でもこの映画の元となった事実とこの映画の存在が、少しだけ私の沈んだ魂を熱くさせてくれた。
(4.75点/5点満点中:7/14/13:DVDにて鑑賞)