Thunder Soul / 日本未公開 (2010) 964本目
何度か書かせてもらっている作品。思っていたよりも面白かった。ジェイミー・フォックスが制作全て終わった後に、エクゼクティブ・プロデューサーとして宣伝に精を出した。「Precious: Based on the Novel Push by Sapphire / プレシャス (2009)」のオプラ・ウィンフリーとタイラー・ペリーがそうだったように、最近流行っている宣伝方法。DVDも「ジェイミー・フォックス・プレゼンツ」だ。彼も音楽家であり、同じテキサス出身だからだ。アメリカ版金八というか、GTOというか... テキサスのヒューストンの北にあるカシミア高校のジャズバンドのドキュメンタリー。そこの顧問がコンラッド・O・ジョンソン。彼は黒人大学を卒業し、プロの演奏家になろうと思っていたが、恋に落ち結婚。家族の為に落ち着けるようにと、プロの演奏家を断念。カシミア高校の先生になった。
アメリカの高校にはジャズバンドが存在する。現在中学生のうちの子供の学校にもジャズバンドがあって、うちの子も入っている。ジャズバンドは大体スタンダードな曲を演奏する。発表会に行くけれど、うちの子が出ているパートはそりゃ夢中になって聞くし、面白いと思うけれど、他のチームが演奏している時なんて正直眠くなる。アメリカには高校のジャズバンドが50年代からあって、50年代から60年代にはみんなを夢中にさせたそうだ。まあ「みんな」と言っても、白人の人々になるのですが... 大会と言っても、優勝できるのは白人の高校バンド。カシミア高校のジャズバンドはオール・ブラックのジャズバンド。元々成績も良かったらしいが、一躍有名になったのは、1968年にファンクバンドに変化させてからの事。普通にジャズバンドとして練習をしていた生徒達。その生徒達が練習が終わると、当時人気のバーケイズやジェームズ・ブラウンのJB'sの曲を演奏して楽しんでいた。その姿を見たジョンソン先生は、子供たちに好きな曲を演奏させようと、スタンダードな曲を辞めてファンクを演奏させるようになる。この時、ちょうど公民権運動がひと段落し、ブラックパワーの真っ只中だった。そして高校生を夢中にさせていたのが、ブラックスプロイテーション。彼等は高校でも大きなアフロとベルボトムで登校していたのだった。ファンクを得た彼等は水を得た魚のように活き活きとし、ブラックパワーを実感していたのだった。そして凄いと関心したのが、ジョンソン先生は自分でファンクの曲の学校のテーマ曲まで作ってしまうのです。ジョンソン先生は、カウント・ベイシーからスカウトされた程のジャズに精通した音楽家。柔軟にファンクを作ってしまうのが凄い。
そして1972年にアラバマで行われている大きな大会に出場。当時のアラバマはジョージ・ウォレスが州知事。ジョージ・ウォレスは公民権運動では悪名高き人物。「segregation now, segregation tomorrow, segregation forever(人種隔離を今、明日にも、そして永遠に!)」と唱えた人物。高校生の彼等はビクビクしながら、アラバマを目指したそうだ。他とは明らかに違うのがカシミア高校のバンド。演奏する音楽も全く違えば、演奏する人たちも全てが黒人。明らかに彼等は大会で優勢であったが、発表をするまでにかなり長い時間を要した。そして彼等は優勝した。この優勝はもちろんその大会で初の黒人バンドの優勝となった。一躍有名になった彼等はヨーロッパでのツアーに呼ばれる。しかしお金が無かった。しかし当時のテキサスの政治家が100万円近くの資金を提供して、ヨーロッパツアーを成功させる。その後の1975年には日本にも来ているのです!
まあ音楽は書くより、聞いて観てもらった方が早い。
部活のバンドじゃないでしょ?プロでしょ?
そしてその彼等が35年を経て、ジョンソン先生の92歳のお誕生日にバンドを再結成!プロの演奏家として活躍している人も居るが、中にはもう35年間楽器から離れていた人もいる。その再結成を計画したのが、高校時代に一番ジョンソン先生を梃子摺らしたちょっと不良だったクレイグ・ボールドウィン(ピアノ)なのです。金八で言うなら加藤優。彼はジョンソン先生の息子と仲良くて、連絡取りながら、再結成をセッティング。金八とかでもそうだけど、学生時代に悪かった人ほど大人になった時に、人を思いやる大人に成長しているものですねー。私、号泣致しました... このドキュメンタリーのラストも非常ーーーーに感傷的になります。
(5点満点:2/15/12にDVDにて鑑賞)