4 Little Girls / 日本未公開 (1997) 1377本目
スパイク・リーが「監督として」アカデミー賞に一番近づいた作品。と言っても、監督賞ではなくて、ドキュメンタリー部門なんですけどね。しかもノミネートで受賞は逃した。この年に取ったのは、ユダヤ系のドキュメンタリー。まあそうなるよね、ハリウッドだもん、仕方ないよね。この作品書いてなかったので、久々に再見してみました。いいですね、やっぱり。
1963年9月15日の日曜日。バイブル・ベルトと呼ばれる敬虔なキリスト教徒が多く存在するアラバマ州バーミングハムでは、日曜の参拝の為に毎回そうであるが、慌しい朝を迎えていた。アディ・メイ・コリンズ、デニス・マクネア、シンシア・ウェズリー、キャロル・ロバートソンの4人の少女もいつもと変わらない日曜日の朝を過ごしていた。彼女たちの家族も同じ。まさか、玄関口での会話が最後の会話になろうとは思ってもいなかった。4人は他の約20名の子供たちと共に朝の説教を聴く予定で、地下にある部屋に向かっていた。その途中で4人はクー・クラックス・クランが仕掛けた爆弾で命を失った。
この映画が好きなのは、事件そのものと言うよりも、4人の少女の姿を追った所。30年経てもまだまだ傷が癒えていない遺族たちが語る4人の少女の姿。だからこそ親身に感じ、彼女たちの死の悲しみがより一層深くなる。フレンドリーだったデニス・マクネア、ユーモアがあったシンシア・ウェズリー、道端で死んだ鳥を見かけお葬式をしてあげたという優しいアディ・メイ・コリンズ、音楽の才能に長け頭も良かったキャロル・ロバートソン。彼女たちの失われた30年。もう取り返す事が出来ない。どんな大人になっていただろう?家族は想像しかできないのだ。犯人たちはなぜ少女4人の命を奪うほどに憎悪を感じていたのか?到底理解は出来ない。いや理解もしたくない。犯人たちもさすがに幼い4人が被害者になるとは思ってもいなかったと思うさすがに。せめてそうであって欲しい。でもそうなってしまった。犯人たちのせいで。
スパイク・リーはこの映画を大学時にニュース記事を読んで、自分で撮りたい!と思い、デニス・マクネアの父に手紙を書いた。しかし彼の答えは「ノー」だった。まだ傷も癒えていないし、第一スパイク・リーって誰なんだよ!という事である。まだまだスパイク・リーという名前が売れる前の事。スパイクは断念するが、忘れてはいなかった。『Do the Right Thing / ドゥ・ザ・ライト・シング (1989)』や『Malcolm X / マルコムX (1992)』と一躍時の人となったスパイク。満を持してこの作品に取り掛かったのである。もう「スパイク・リーって誰?」とは言わせない。黒人映画監督としてナンバーワンの知名度なんだから。
なのでこの30年というのは、遺族にとってもスパイクにとっても絶好の機会となったのだ。しかし30年という年月を経ても、家族の傷が和らいでいない事を見て取れる。遺族は未だに涙を流す。そして爆発時にその現場に居て、自分も傷を負ったアディ・メイ・コリンズの姉妹は、パニック障害に苦しみ、今でも建物内にいるのが怖くてパニックになる(ちなみにアディ・メイのもう1人の姉妹は出てこないが、彼女は片目を失明している)。突然人の命を奪う殺人ってそういうものなのだ。1人の人が殺されたら、その何十倍もの人々が涙を流し、ずっと引きずって生きていく。第2次被害、第3次被害... 分かるか?殺人者たちよ。
スパイクはあの「今日も人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!!」と叫び、映画『Selma / グローリー/明日への行進 (2014)』にも登場する元アラバマ州知事ジョージ・ウォレス本人もインタビューしている!これがとっても滑稽で最高だった!怖いもの知らずのスパイクなので、どんどんと率直な質問を浴びせる。ウォレスは「待ってくれよ、私は差別者じゃないんだ。私の一番の親友は黒人だよ」と、その”親友”のエドを呼ぶ。どうやらエドさんは、ウォレスの身の回りの世話をしている人。「私はエドを連れて日本やヨーロッパにも行ったんだ」と意気揚々と話しているが、エドの顔が絶妙に微妙な顔をしていて、エドの顔を見れば”親友”なんかじゃなくて、ただ仕事だから一緒に行ったという事がすぐに分かってしまうのだ。言葉なんて要らない表情だった。
この映画こそスパイク・リー渾身の!というのにふさわしい作品なのだ。そしてスパイクのトップレベルの作品であることも間違いない。
(5点満点:6/15/15:DVDにて鑑賞)