デフ・コメディ・ジャムという25年前の現象『デフ・コメディ・ジャム 25』
ヒップホップの老舗デフ・ジャム。ランDMCのランの兄ラッセル・シモンズとリック・ルービンが大学で創設したレコード・レーベル。彼らの苦労と努力は後にヒップホップと言えば、デフ・ジャムと言われるまでになった。デフ・ジャムが順調に勢力を伸ばしていた頃の1992年7月1日、ラッセル・シモンズは「デフ・ジャム」という看板を引っ提げて、ドキュメンタリー映画監督スタン・レイサン(女優サナー・レイサン父)と共に黒人コメディアンのスタンダップコメディ・ライブを有料チャンネルHBOで放送する事を開始した。HBOと言えば、エディ・マーフィのスタンダップコメディ・ライブ『Eddie Murphy Delirious / エディ・マーフィー/ライブ!ライブ!ライブ! (1983)』の実績もあり、HBOは放送禁止用語も寛容だったので、ファッ×やマザーファッ×ーなどの言葉もピー音無しで放送したのだった。
この番組に対する愛は、常々このブログやツイッターで語っていたと思う。元々、コメディアンのデーモン・ウェイアンズを好きになって、この扉を開いた私だけど、私が黒人コメディアンをここまで興味を持って追うのは、この番組が一押ししてくれたように思う。この番組が無かったら、私はここまでコメディに関心を持っていたかどうか分からない。でも、私はあの頃この番組に出会ってしまい、こうなっている。日本のお笑いも好きで良く見ていたし、元々アメリカのコメディ映画も大好きだった。けれど、この『デフ・コメディ・ジャム』は私が観てきた笑いを超えていた。でもあの頃は今よりも英語力も不足していたし、そこまで黒人文化に詳しい訳でもなかったと思う。けれど、涙が出るほど笑った。お腹がよじれる程笑った。かなり過激で「えー!そんな事言っていいの?」って思う事もしばしばあったけれど、彼らの言葉が私が思う真実に近くて、そしてとてつもなく面白くて笑った。「明け透けにものを言う」...まさにそれだった。そして彼らは臆する事もなかった。そんな感じが私にはとてもカッコ良く見えて、すぐに好きになった。
あれから25年。デフ・コメディ・ジャムが戻ってきた!92年7月に『デフ・コメディ・ジャム』が始まる前の4月、アメリカではロサンジェルス暴動があった。そして今も心痛む事件や争いが続いている。今回は、25周年のお祝いムードで過去の映像を見ながら和やかに行われると思っていた。しかしデフ・コメディ・ジャムは相変わらずデフ・コメディ・ジャムであった。自分たち黒人コメディアンを弄るジョークから、エディ・グリフィンのマイケル・ジャクソンの物まねを今風に、そしてキャット・ウィリアムスは痛烈にトランプとその支持者たちを皮肉って、デイブ・シャペルとDL・ヒューグリーはプロンプター読みを失敗してアドリブを連発し、さらには「黒人の国歌」と言われる「Lift Ev'ry Voice and Sing」を歌い会場の観客と合唱してしまう。反応が良い観客は思わず立ち上がり手を叩いて笑ってしまう。この観客との一体感。そしてデイブ・シャペルは続きを歌うようにマイクを投げた(取ってしまったのは俳優ジェシー・ウィリアムスだが)歌手のジョーに対して、その場に居るものならば誰もが笑ってしまうジョー弄りをして、更に観客を沸かせる。
そして懐かしい当時の映像。マーティン・ローレンスの名司会ぷりから、クリス・タッカーのマイケル・ジャクソン、お客さんの出川哲郎越えの大きなリアクション、そして故バーニー・マックの追悼。当時が一気にフラッシュバックする。この番組から大スターになったクリス・タッカーだけが当時の映像のみで、会場に姿もなく、お祝いVTRも無かったのが心残りではある。そしてあまりこの番組の印象が無いけれど、最近ブレイクしたティファニー・ハディッシュの出演が多かったも謎ではある。会場に居た他の縁のあるコメディアンたちの言葉も聞きたかった。でも当時そこまで大きくなかったデイブ・シャペルやエディ・グリフィンにキャット・ウィリアムスがその分盛り上げてくれた。
最後はあの時と同じようにラッセル・シモンズの棒読みの「来てくれてありがとう。神のご加護を。おやすみ」で〆る。デフ・コメディ・ジャムのあの現象は色褪せる事なく続いていく。次の25年後、デフ・コメディ・ジャム50となった時、あの時出演したコメディアンは残り少なくなっているかもしれないが(もちろんそうならない事を願う!)、それでも色褪せずに語り継がれていくだろう。『デフ・コメディ・ジャム』は永遠!そしてありがとう。
Def Comedy Jam 25 / デフ・コメディ・ジャム 25 (2017) (VOD)(4.5点:1589本目)