With All Deliberate Speed / 日本未公開 (2004) 1020本目
公民権運動の一番重要な裁判となったのが「ブラウン対教育委員会裁判」。しかしその前に教育の場での平等を訴えていたのが、ブリッグス対エリオット裁判とデービス対プリンスエドワード郡学校委員会裁判だった。このドキュメンタリーでは、この2つの地区での戦いと、今のその地区の教育を追っていき、「ブラウン対教育委員会裁判」の歴史を紐解いていく。
ブリッグス対エリオット裁判の舞台はサウスカロライナの小さな町。黒人と白人の学校は分かれていたが、黒人の生徒は9マイルも歩いて通うのに対して、白人の生徒はバス通学。しかも黒人の生徒達には畑仕事が待っている。なのでどうにかして欲しいと、黒人の生徒の両親達は頼むが、「黒人は税金をちゃんと払ってないでしょ」と一蹴されてしまう。そこで立ち上がったのが地元の牧師。そして最初にサインをしたのが、そこに通っていた生徒の父であるハリー・ブリッグス。彼等はそれが原因で職を失った。そして牧師の教会は放火で全滅。
片やデービス対プリンスエドワード郡学校委員会裁判の方は、ヴァージニアが舞台。そこも当たり前のように黒人と白人の学校は分かれていた。しかし黒人の学校の設備等は、サウスカロライナと同じで粗末なものだった。そこで立ち上がったのが、16歳のバーバラ・ジョーンズ。彼女は「The Vernon Johns Story / 怒りを我らに (1994)」のヴァーノン・ジョーンズの姪。バーバラの父とヴァーノンが兄弟。でもNAACPとかにも取り合ってもらえず、彼女は仲間の生徒とストライクを始める。そこでやっとNAACPがバーバラの話を聞く事になり、裁判となったのだった。
そこでNAACPが立ち上がる。別の3つの裁判を融合し「ブラウン対教育委員会裁判」となる。様々な局面を迎えるが、サーグット・マーシャルの活躍などもあり、勝利を得る。そしてこの裁判での勝利が公民権運動に大きな扉を開く事になった。
しかし、このドキュメンタリーでは今のこの地区の教育も取り扱っている。あれから50年以上経つ今も、人種融合はしているものの、黒人生徒が多く集まる地区の学校では、資金難で苦しみ、学校の質も悪い。しかし白人が多く集まる学校では、全てにおいて充実している。大きな格差がまだまだある。
50年前の当時を語る人達は「とにかくやる事が遅い」、そして「無視しようとしていた」と語っていた。今も全く同じ状況!でもちょっと感動したのが、サウスカロライナで戦った地元の牧師の娘さんが、高校の教師になっていた。お父さんとは別の角度で今でも戦っていたのが感動。
(4.25点/5点満点中:8/2/12:DVDにて鑑賞)