Imitation of Life / 悲しみは空の彼方に (1959) 618本目
という訳で3本同じようなのが続いてますが、これが最後です。先日書いた「Imitation of Life / 模倣の人生 (1934)」のリメイク版。お気づきのように原題は同じですが、邦題は全く違うんですよね。というのも設定が全く違うんです。オリジナルの方は亡き夫が残したメープルシロップと黒人メイドの美味しいレシピのパンケーキで成功していきますが、こちらはニューヨークで女優を目指す未亡人と、全くもって違うんです。黒人メイドもメイドはメイドなんですが、エプロンに頭巾で肥えた女性...というイメージとは全く違います。でもこの映画でメイドのアニーを演じたワニータ・ムーアはアカデミー賞の助演女優賞にノミネート。当時は黒人がノミネートされる事自体珍しい事だったんですよ。ようやくムーアの前年度にシドニー・ポワチエという新星が現れて助演男優賞にノミネートされたんですから。ムーアの前にはそのポワチエ含めて黒人でノミネート(または受賞)したのは5人だけです。ワニータ・ムーアのアニーは以前のマミーというステレオタイプのイメージを排除した形ではありましたが、やはり献身的。でも白人の主人に支えるというよりも、助けてくれた友人に対して献身的...そういう女性だったと思います。それに引き換え、今回メイドのムラートの娘サラ・ジェーンはメキシコ系とユダヤ系のミックスの女優(ちなみに彼女の息子達は「アメリカン・パイ」の監督)が演じています。なんでも黒人女優も沢山オーディションを受けた事は受けたが、そのメキシコ系とユダヤのミックスの女優が選ばれたとの事。それが関係あるのか、白人の彼氏にNワードは言われるわ、殴られるわ...の酷い描写がありました。そこまで残酷にしなくても...と少し感じる。ちなみにオリジナルの方にも脚本にはNワードが含まれていたそうですが、メイド役のルイーズ・ビーバーズがNAACPの助けを借りて、脚本から削除して貰ったらしいです。
今回3本立て続けに「パッシング(Passing)」という黒人が白人で通すという映画を見ました。3本共に黒人女性がパッシングしていたのですが、この映画のサラ・ジェーンが一番黒人への憎しみが強い。逆に「I Passed for White / 日本未公開 (1960)」の主人公は別に黒人の血を憎んでも居ないけれど、自分の幸せの為に白人に成りすましたという感じ。パッシングする理由というのも色々なんですよね。でもまあ女性の場合の方が家庭に入るので、パッシングというのは大きな線だったのかも。彼女達は白人でもあり黒人でもあった訳ですから、白人としてのアイデンティティもあっただろうし、黒人としてのアイデンティティもあった筈。けど当時は黒人の血が入ると黒人となっていた。要は、アイデンティティの押し付けだったんですよね。
このリメイクの方はかなりメロドラマなんですよね。いや、オリジナルの方が昼メロぽいんですが、それでも女性像がカッコいいので憧れてしまうんですが、こちらはどうもそれが...ヒロインが女優で成功していく姿もそんなに面白くないし、母親像としてもイマイチでしたね。ラストが中途半端に終わってます。
このリメイクのクライマックスは何と言ってもマヘリア・ジャクソンがゴスペルを劇中で歌うシーンですね。この作品がどれほどマヘリアの歌声にかけているかは、そのクレジットの仕方にも意気込みが出てますから。ゴスペルの女王ですからね。凄いですよ。葬式は盛大にという願いが通じたと分からせる良いシーンです。その前にアニーが昔のアパートで世話になったミルクマンに毎年クリスマスにはプレゼントを主役の女性と連名で贈っていたというエピソードもあって、マヘリアの歌で号泣しますよ。
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(3.5点/5点満点中:DVDにて鑑賞)