この前、リチャード・プライヤーの「Which Way Is Up?」を見たばかりだった。ブラックコメディの原点とも言える映画で、プライヤーは1人3役をこなしていた。エディ・マーフィ、マーティン・ローレンスも色々な映画で同じように1人で数役こなしているし、それが彼等の得意ともなっている。また最近では、舞台出身のタイラー・ペリーが映画「Diary of a Mad Black Woman」でも同じように1人3役こなして、全米興行成績1位を獲得した。
またちょっと種類が違うが、デーモン・ウェイアンズは変装こそしないが、映画で何人も変わる。
それまでのブラックコメディアンと言えば、ビル・コスビーであって、教養あるコスビーは悪い言葉(所謂4文字言葉)等使わないクリーンなコメディアンだった。悪い言葉を使うブラックコメディアンは、コスビー以前から存在した。しかし、それがアメリカ全国にクロスオーバーする事は決してなかった。リチャード・プライヤーが現れるまでは...
プライヤーは、10秒毎に「F***」を口にする。ストリート言葉も頻繁だ。クスリに手を出している事を平然と口にする。別に全国向けに自ら仕向けていない。「俺は俺」なプライヤー。だからこそ、プライヤーは支持された。みんなから遠い存在でない自分らしさを大事にしたプライヤー。自分らしさを笑いにかえた天才コメディアン。
今でこそ、デイブ・シャペルがクレイジーなコメディアンとして認識されているが、リチャード・プライヤーのクレイジーさは凄かった。彼の自伝映画(彼自身が監督もしている)「JoJo the Dancer, your life is calling」を見るとよく分かる。
またブラックコメディアンが映画で成功する基盤を作ったのもリチャード・プライヤーだ。彼は「スーパーマン3」の出演料が$4,000,000という破格なギャラを手にしている。ブラックコメディアンが映画でも観客を動かせるというステイタスを上げたのだ。
彼が残した物は、エディ・マーフィにデーモン・ウェイアンズ、マーティン・ローレンスにクリス・ロック、デイブ・シャペルの笑い。それに続く多くの若手にも残されていく、永遠に。