SOUL * BLACK MOVIE

ブラックムービー、ブラックスプロイテーションなどについて

なぜブラックフェイスがダメなのか?

ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』の浜ちゃんのブラックフェイス(日本のマスコミはなぜか黒塗りメークだの黒塗りメイクだの使っておりますが、ここでは敢えてブラックフェイスという言葉を使用します)についてツイッターでコメントした所、色々返信を頂いた。最初は個別に返信したけれど、正直個別に返信するのも大変だし、140字でまとめられないし、結局同じ事を書くので、ここでまとめて返信させて頂きます。

これが私の一番最初の投稿です。まず、言いたいのが私は「差別」という言葉をこの最初の投稿で使っていないという事*1。私は浜ちゃんが差別者だとはこれっぽちも思っていない。このネタが浜ちゃんが考えたネタじゃない事も知っているし、もしこのネタをいつも通り松ちゃんが作ったとしても、それでも私は松ちゃんが差別者だとは思わない。「差別」とは当然の権利をはく奪された時に使う言葉だと思っている。例えば、1955年のアラバマ州モントゴメリーでローザ・パークスという女性が、黒人だからという理由だけで白人に席を譲らなければならず、拒否して逮捕された事は「差別」だ。でも今回は違う。ダウンタウンの浜ちゃんが、アメリカンポリスが題材の今回、『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィの真似をし、その時にブラックフェイスという顔を黒くするメイクをした。そして論争になっている。

なぜブラックフェイスがダメなのか?
1915年、アメリカの映画史を変える作品が発表された。『The Birth of a Nation / 國民の創生 (1915)』という3時間にも及ぶ大作だ。それまではショート映画が主流で長くても50分程度。そしてこの映画はクローズアップやクロスカッティングという手法を始めてつかい、映画の臨場感を煽った。ハリウッドだけでなく、全米中で大フィーバーになった作品だ。この映画は「ザ・クランズマン」というフィクション本を題材にしている。クランズマンとは、現在のアメリカではテロリストとして認識されている白人至上主義秘密結社クー・クラックス・クラン(以下KKK)のメンバーの事であり、この映画はKKK賛歌のプロパガンダ映画なのだ。ブラックフェイスというのは、映画が生まれる前からミンストレルやヴォードヴィルという舞台のショーで使われていたが、それは黒人を怠け者でスイカばかり食べているとステレオタイプ化する卑下にするものだった。この映画でもブラックフェイスが使用された。それはミンストレルやヴォードヴィルの時と同じような描写もあるが、この映画の一番大事な所で、ブラックフェイスの男が白人女性に暴行しようとし、その結果女性は崖から落ちて死んでしまうのだ。このシーンで、KKKの黒人への暴力を正当化し、映画ではKKKを英雄として描いている。その結果、この映画が公開された1915年には、黒人へのリンチがピークを迎えた。全く関係ない黒人がこの映画のせいで何人も(統計によっても違うが10年でおよそ400人ほど)殺されたのだ。何度でも書くが、このフィクション映画に興奮し、踊らされたKKKとその他の人々が自分たちの暴力を正当化し、全く関係ない無罪の黒人が400人もリンチという非道残虐な方法で殺された。
黒人はブラックフェイスを見ると、不快に感じ、怒りが込み上げるのは、そういった歴史が400年以上もあるからだ。

と、ここで私の元には「なぜ黒人の真似をするのはダメなのか?顎が長い猪木の真似とはどこが違うのか?」という意見が届く。
黒人の真似をするのがダメなのではない。ブラックフェイスがダメなのだ。猪木に似ているという理由でイジメられてられてしまうことは確かに残念ながらあるかもしれない。でも猪木に似ているからという理由だけで殺された事は未だかつてない。

と、さらに、「じゃあ黒人に憧れて日焼けするのもダメなのか?」という意見も届く。
それは皮膚が強くて、皮膚病が怖くないなら、ご勝手に。誰も止めない。肌を焼いて黒くする事と、ブラックフェイスは全くの別物である。ボディビルダーとか筋肉綺麗に見せる為に日焼けするし。

「ブラックフェイスが良い意味・意図で使われているのならばいいのでは?」
あの浜ちゃんのブラックフェイスがいい意味にこれから好転するとは到底思えないし、あの状況では良い意図とは思えなかった。例えば、ブラックフェイスという物が馬鹿げているのだというメッセージが隠された風刺を使った笑いだったら良い意図だろう、でもあの浜ちゃんのは違う。ただ黒く塗りました、浜ちゃんを黒人にしてみました、どう面白いでしょ?でしたよね。

色んな意見をいただいて、結局書く事になるので、ここでも書いておきますが、浜ちゃんがあのデトロイト・ライオンズのジャケットを着て、映画の曲が流れ、エディの顔写真がテロップに出たならば、それだけで私には浜ちゃんがエディの真似していると伝わるし笑えた。でもブラックフェイスまでやられると全然笑えない。何度も書くが不快だ。ブラックフェイスまでしないと伝わらない人には、エディの顔写真がテロップに出ても伝わらず笑えないという事だ。

で、ここまで書いて何を求めているのか?
何度も書くけれど、ダウンタウンが差別する意図があったとは思っていないので、人種差別者だとはこれっぽちも思っていない。ダウンタウンを責める気は毛頭にないし、ダウンタウンが差別主義者なのかどうかを論議する必要すらないと思う。恐らく、それらの歴史を知らなかったというのは容易に想像できる。ただ「これからは気を付ける」。その言葉が聞きたいだけ。謝罪ですらない「これからは気を付ける」その言葉だけでいいのです。「これから勉強します」と言えれば最高だと思う。

でもテレビ局レベルになると、なんで止められなかったの?とは思う。この前のフジテレビの27時間のTシャツの時にも思ったけれど、みんないい大学入ってから、テレビ局に就職しているんでしょ?英語ペラペラの人も多いんでしょ?これはマズイですと止める人が居なかったのがとても不思議ではあるし、日本の教育が不安になる。

そして感じるのは知識の差だ。今回のブラックフェイスに対して怒っている人は、そういった歴史を踏まえている。しかしやった側とそれを弁護する人々は、その歴史を知らない。だから「これから気を付ける」「これから勉強する」で十分なのだ。だから私は差別なのかどうかを論議したりするのも無意味だと思っている。

っていうのを、日本に居た時に私の隣で強制的にダウンタウンの番組を見せられ、浜ちゃん・松ちゃんの区別もつく夫(アメリカ黒人)に、この顛末を話した。「うーん、やっぱり浜ちゃんと松ちゃんを差別者だとは思わないかな。ごめん、これからは気を付けるで十分だと思うよ。でも、そのフィフィっていう人の意見は許せない。それを弁護しようとしたならば、それはまた別の話だ!」と。そして「日本で憧れとかでファッションとか真似されているのは知っている。でも黒人の真似はするだろうけど、黒人には絶対になりたくないと思うよ。俺たちが受けた全ての差別を経験なんて誰もしたくないでしょ」。

でしょ?

追記 2018/01/10>
「日本人にとってブラックフェイスに差別的な意味は全くない。ブラックフェイスをネガティブな認識からポジティブな認識に変えいけばいい」
日本人全員が同じ意識とは限らない。仮に日本人全員が同じ意識であっても、世界では全く通用しない。世界の常識。「日本は日本なのだから!」とか「差別意識があるアメリカでやればいい事」という意見ももらっちゃいました。本当に日本は日本なのだからでいいのですか?今現在、日本は数多くの海外製品・食品に頼って生きてますよね。優れた海外の技術を取り入れて豊な暮らしをしている訳です。スマホとかそうですよね。その技術者たちが日本に技術を教えにやってくる事も多々あります。そして、交通手段が発達した現在では海外から多くの旅行者だってやってくる。その人たちは日本のそんな意識を知っていると思いますか?彼らは世界の常識を持って、日本を訪れる。そういった人たちにまで「日本は日本なのだから」と言えるのでしょうか?それとも「日本は日本なのだから」と分かってくれない外国人を排除するのですか?今回のこの件を一番最初に指摘された作家の方が「オリンピックも控えているのに」と懸念していたのはそういった事。
そして、ブラックフェイスをポジティブな物にするのには並大抵の努力が必要だ。少なくとも、あのダウンタウンのはそのレベルには到底達していない。達していたら、あの作家も私などの多くの人が怒る事はなかった。あの程度のものならやるべきではない、止めて欲しい。

エディ・マーフィへのリスペクトしか感じませんでした」
エディをそこまで尊敬しているのなら、彼のバックにある歴史を踏みにじる事はしない。

ここで書いた事は、ダウンタウンが何もコメントを出していないので、ダウンタウンはブラックフェイスについて知識がなかったというのを前提に書いている。理解していてやっていたとなると、話はまた別。そしてこのままダンマリ続けて、何もなかったようにされても、話はまた別。
</追記ここまで>

*1:白状すると個別の返信では「テレビ局の差別意識の低さ...」とは書いた。がフィフィのこの的外れな意見を見て「差別」という言葉は今回的外れで、私も安易に使い反省し思い直した。今回の浜ちゃんのを「差別」と思った事は一度もない。テレビ局の意識が低いとは感じる。