追悼ディック・グレゴリー
50年代から活躍したスタンダップコメディアンのディック・グレゴリーが細菌感染で病院にて療養中に心不全により、2017年8月14日に他界した。84歳だった。
スタンダップコメディでは第一線で活躍しながらも、ビル・コズビーやリチャード・プライヤーのように映画やTVなどには進出しなかったので、日本では恐らく無名に近いが、アメリカでは伝説的なコメディアンとして良く知られている。コメディアンとしてもだが、公民権運動家としても大活躍し、ハリー・ベラフォンテと同じくらいに公民権運動に力を注いだ芸能人の一人である。
ビル・コズビーが一番最初に白人観客にも認められ人気となったという印象が強いけれど、実はディック・グレゴリーの方が先。というのも、グレゴリーが黒人向けのバーでスタンダップコメディをしていた時に、なぜかたまたま見ていたのが「プレイボーイ」誌のヒュー・ヘフナー。ヘフナーは自分のクラブのコメディアンを即解雇し、グレゴリーを専属として雇った。そして夜のトークショーでスタンダップを披露して、人気が全国化になった。
60年代に入り、公民権運動が激化していくと、グレゴリーは運動に身を投じる。映画『Selma / グローリー/明日への行進 (2014)』で描かれたアラバマ州セルマでの運動でも、行進には参加していないが、観衆を集めての集会でスピーチをしている。そしてこのドキュメンタリー『Freedom Summer / 日本未公開 (2014)』でも描かれているように、ミシシッピ州の小さな町で始まった「フリーダム・サマー」のきっかけになったのが、ディック・グレゴリー。グレゴリーが自家用機を飛ばして貧しい街に食料を運んだのがニュースになり注目を集め、それがきっかけで新たな運動「フリーダム・サマー」が始まったのだ。
映画やTVなどにはあまり出演していないが、恐らく一番有名なのが『Panther / パンサー (1995)』だろう。マリオ・ヴァン・ピープルズが父メルヴィン・ヴァン・ピープルズの脚本・制作の助けを借りて制作したブラック・パンサー党を描いたこの映画で、グレゴリーは初期パンサー党員の地元で尊敬されている牧師役で出演している。この映画の鍵となる少年が事故死した後に、町の人々が献灯しながら歩くのを率いた牧師で、彼が「We Shall Not Be Moved」を歌い始めるシーンがとても印象的だったので、覚えている人も少なくないだろう。
グレゴリーの場合は、彼自身が映画に出演するというよりも、彼自身が物語になるという方が相応しい。実際にTVシリーズ『スキャンダル』などで知られるジョー・モートンがグレゴリーを演じる『Turn Me Loose』という独り舞台を2016年に上演している。そして何度も書いているかもしれませんが、彼の自伝的著書は絶対に映画化して欲しい。タイトルは書けないので、↓で確認。デイブ・シャペル(もうちょっと痩せた後に)、もしくは私ご贔屓のジャスパー・レッドにやって欲しい!
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ちなみに、ニクソン大統領が辞任にまで追い込まれる事になるきっかけとなったウォーターゲート事件の発見者のフランク・ウィルズ(ウォーターゲート社の警備員)は、その後警備員を辞める事になり、事件当時は映画に出演したり(事件を描いた『大統領の陰謀』)ちやほやされたが、その後は時の人となり困っていた時に助け船を出したのもグレゴリー。
そんなグレゴリーの死後、有名人たちが次々とSNSで追悼している。
その中でサミュエル・L・ジャクソンは、「人権の戦いにおいて、5つ星階級の元帥(最高級の軍人の意味)だった」と追悼している。キング牧師センターも、グレゴリーとキング牧師の写真を幾つか載せて追悼している。
追悼ツイートのまとめ。
今まで沢山の笑いと知恵と知識をありがとうございました。そして私の日本語の訳分からないツイッターまでフォローして頂き、感謝の言葉しかないです。とても寂しいですが、安らかに。