N.W.Aは思えば物凄く短命なグループであった。イージー・E、ドクター・ドレ、アイス・キューブ、MCレン、DJイェラの所謂N.W.A5人が揃ったアルバムは1988年の「ストレート・アウタ・コンプトン」の1枚のみである。アイス・キューブが脱退した後の2枚目。スタジオアルバムはそのたった2枚である。「ストレート・アウタ・コンプトン(以下SOC)」が発売された頃、私はまだ中学生だった。部活は早々に面倒くさいと感じ、ブラブラしていた夏休み。そうだ!映画を一杯観よう!!それが私の部活だ!と勝手に一人部活をはじめ、せっせとレンタルビデオ屋に通っていたのだ。その一角にあるCDレンタルでN.W.Aに出会った。中学の私がN.W.Aの歌詞の意味を当然ながら理解する事なかったし、分かった所でその本来の意味など分からなかっただろう。しかしギャングスタラップ、ウエストコースト、暴力的...などというレッテルが貼られていたのは分かった。その「SOC」のCDをトレーに入れ聴いた。何だか私の想像を超えたおどろおどろしい世界が広がった。
あれから25年経た。私には今あの頃の自分の年と同じ位の子供が居る。そして私はアメリカに流れついた。まさかあのN.W.Aの映画をその子供と見る事になろうとは思ってもいなかった。まあ25年色々あった。色々な所に住んだけど、N.W.Aのお膝元ロサンジェルスに住んだ事もあった。そこでレイダースのニット帽を買って、アイス・キューブの真似したりもした。外のヘリの音が聞こえると『Boyz N The Hood / ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)』のトレになりきり泣きながらのーーーぉーーー!と叫び、夫にアホじゃないの?と言われた事もあった。ホント、色々あった。と思い出しながら劇場に向かった。
パトロールの音、そしてヘリの音から始まり、「SOC」のドクター・ドレの冒頭の語り「You are now about to witness the strength of street knowledge(お前らは、今からストリート知識の強さを目撃しようとしている)」が聞こえる。そこから2時間半ずっとN.W.Aが語られる。なぜ?どのように?何がそうさせたのか?N.W.Aが結成され、そのような道を歩んできたのか、2時間半後劇場を出た後はそんな質問全てが答えられているのだ。なぜ彼等は「ファック・ザ・ポリス」を作ったのか?どのように出来たのか?何が彼等をそうさせたのか?
N.W.Aの個性は当時からハッキリしていた。カリスマ性のある自然なリーダーであるイージーE、ビートを作る天才ドクター・ドレ、頭脳明晰で文才があったアイス・キューブ、クールで忠誠心のMCレン、そして女好きでユーモアもあるDJイェラ。監督のF・ゲイリー・グレイは冒頭からそんな5人をエピソードと共に見事に描いている。そして彼等を描く事で、80年代中ごろからのロサンジェルスと黒人の若者達の関係も見えてくるのだ。1965年にワッツを火の海にしたワッツ暴動(今年の8/11-8/17で丁度50年になる)も最初は黒人の若者が警察に不当逮捕されたことから始まった。そしてその約20年後がN.W.Aが経験した事で、この映画でLAが描かれているのだ。そして更に25年経った今、LAや全米各地で広がる警察からの暴力に反対する「Black Lives Matter(黒人の命も重要である)」運動である。
高校生になった私は海外アイドルにも夢中になっていたが、ラップも本格的に聴き始めた。パブリック・エナミー(以下PE)に出会ったのだ。PEを聴く=黒人の歴史を本格的に学ばないといけない...という事でもあった。そして相変わらず映画を一杯観るという一人部活は続行中であった。いつの間にかアイス・キューブは俳優になっていた。『ボーイズ’ン・ザ・フッド』のドウボーイが物凄く勇ましく見えた。ローライダーを観た。そしてこの映画でもローライダーたちが居た。
そしてロドニー・キング事件が起きた。ニュースに噛り付いてあのビデオを繰り返し観た。そしてようやくN.W.Aの歌詞の意味が少しずつ分かってきた。彼等は正しかったのだ!ファック・ザ・ポリス!!
イージーEが亡くなった。私は働き始めていた。会社で掛かっていたJ-Waveで何度ボーン・サグズン・ハーモニーの「ザ・クロスロード」を聴いた事か!そして会社で本社のアメリカ人従業員が急いでファックスしてくれた2パックが殺されたニュース。悔しかった。シュグの野朗め!そしてやっぱりこの映画を観て改めて思う。シュグの野朗め!!
そしてドクター・ドレはBeatsというヘッドフォンで有名になっていた。私の知り合いは、そのBeatsの本来の良さを聴く為に普段は聞かないラップ「The Chronic」を聴き始めたというのだ!ドレは西ラップ=Pファンクのサンプルという形を作った先駆者である。東はどちらかというとジャズ系が多い。そんなドレの音楽テイストもこの映画では十分に味わえる。劇中掛かる曲はN.W.Aだけでなく、ほぼP−ファンクのベスト盤のような映画なのだ!しかもベストのタイミングで鳴り響く。N.W.AのそしてP-ファンクの重厚感が劇場の地面から足に伝わリ魂に到達するのが分かった。
あっという間の2時間半であった。いや25年であった。ホント、色々あった、私もN.W.Aも。N.W.Aは進化し続けた。私は進化はしていないが、ちょっとだけ成長した。ラップに恋した私も知らず知らずにN.W.Aのレガシーに触れ学んで影響されていたのだ。この映画を観た後、ずっと自分の25年を思い出していた。そしてそれらの幾つかはN.W.Aに繋がっていたのだ。
この映画を観に行こうと思う人たちに言いたい「お前らは、今からストリート知識の強さを目撃しようとしている。そして自分の25年を振り返れ!」と。
(5点満点:8/14/15:劇場にて鑑賞)