オプラ・ウィンフリーのTV局「OWN」にてプレミア放送された作品。監督は俳優としても『プレデター』や『コマンドー』でも知られるビル・デューク。デュークは前作の『Dark Girls / 日本未公開 (2014)』にて、黒人の中でも色の黒い女性達にその苦労や悩みを語らせた。今回はその対極に居る、黒人の中でも色の白い女性達がその苦労や悩みを語る。
面白いのが『Dark Girls』の時には、色黒の女性達はみな「色の白い女性達に随分といじめられたわ」と語っていたが、この『Light Girls』で色白の女性達は「色の黒い女友達に随分といじめられたわ」と言っていた事。この2つのドキュメンタリーは対極である筈なのに、実は全く同じなのである。色が黒かろうと白かろうと、容姿でいじめられる。色黒の場合「醜い」とバカにされ、色白の場合は「黒人じゃない」と否定される。理由は違うにしろ、しかし両者共にコンプレックスに感じ、美容品に多大な金額を掛ける。全く両者は同じだという事。
私は前にも書いたように色黒。小さい頃は余りにも言われるのでコンプレックスだった。日本には色の白いは七難隠すなんて言葉もあるから、女性だったら色白の方が絶対に有利。私も大好きな綾瀬はるかちゃんなんて、色白で綺麗で超可愛い!日本で色白で損する事と言えば、多分日焼けした後位かな?って思う。いや、本人たちに聞いてみないと分からないけれど。
でも、黒人だとそうはいかない。色黒と同じように悩み、苦しむ。黒人で色白という事は、アルビノなど以外は白人の血が入っているという事。昔から家系的に色白という人たちは、奴隷時代に白人のマスターにレイプされた可能性が大きいのだ。この映画ではそれを「レイプの産物」なんて言っていた。でもそういう歴史なのだ。そしてそういう人たちは、白人の血の入ってない色黒の人々より優遇された。奴隷をテーマにした映画で、色黒い黒人は外のキツイ畑仕事をやらされ、色白の黒人は家の仕事をやるという場面を見た事がある人も多いだろう。そういった白人の意識から、黒人同士は色の濃さで対立していくように形成されてしまったのだ。どっちみち、一滴の黒人の血が混ざっていれば、黒人として生活しなければならないのに... でも実際にあった待遇の差が、彼等を分裂していく。
となると、白人として通る人は白人を貫く人までいる。「パッシング」と言われた、40-50年代のレイス映画(所謂今でいうブラックムービー)の代表的なテーマとなったものだ。白人として通すも、いつか明らかになって悲劇となる、あれだ。余計に両者は分裂していく。
そしてイジメの対立は、もし色黒がイジメる場合は黒人であるプライドがそうさせているだろうし、もし色白がイジメる場合は色の白い方が優秀だという固定観念がそうさせているのだった。
『Dark Girls』を観た時、私も色黒なのもあって、色黒に関してはとてもグローバルな悩みなんだなって思った。しかしこの『Light Girls』を観ると、やはり黒人の間にある色の問題というのは根深く根強い... そう感じずにはいられませんでした。人の美意識とは何なのか?千差万別。色が白かろうが黒かろうが、貴方を可愛いと思ってくれる人はきっと居る筈。世の中には色んな人が居るように、趣味も千差万別。最後にこの映画で一番小さな女の子が話したように、要は性格。キング牧師も夢で語ってましたよね。性格や中身で人が判断されますようにと。
(4.5点/5点満点中:1/27/15:TV放映録画にて鑑賞)