Jean-Michel Basquiat: The Radiant Child / バスキアのすべて (2010) 781本目
なんでしょ?これ見たら急に「Wild Style / ワイルド・スタイル (1983)」見たくなってしまいました。タイトルでお分かりの通り、ジャン=ミシェル・バスキアについてのドキュメンタリー。バスキアはヒップホップやっていた訳じゃないし、このドキュメンタリーに寄れば本人はジャズのビーバップが大好きだったし、彼が参加していたバンド「グレイ」もヒップホップ系ではない。だけど創世記のニューヨークのヒップホップに触れたくなってしまう、そんなドキュメンタリーでした。監督がビースティ・ボーイズのアダムの奥さんで「CB4 / CB4 (1993)」撮ってたりするし、ビースティ・ボーイズのアダムとマイクが音楽でこのドキュメンタリーに参加しているのもあるからかな??ファブ・5・フレディと仲が良かったからかな?バスキアが短い人生を駆け抜けたニューヨークの雰囲気がそのままスクリーンに映し出された感じ。あの時代にニューヨークのCBGBで遊んでたら面白かっただろうねーという感じです。そういえば高校生の時にホームステイした時に同じ仲間がニューヨークに行った時にやたらと「CBGBに行きたい」と言っていたので、その名前を聞くたびに思い出しますわ。パンク系じゃないし普通の高校生だったけど。更にはニューヨークのパーティ事情を紹介するローカル番組の映像が見れたりと余計にその雰囲気を味あわせてくれます。そして当時付き合っていた元恋人がインタビューに答えたり、バスキアに初めてチャンスを与えた画廊がインタビューに答えていたりと、アンディ・ウォーホールの側近等も登場し(初めて彼等が会った時のウォーホールの言葉が泣ける)、色々な角度からバスキアを知る事が出来る。
そしてバスキアは残念ながらクスリによって他界してしまいましたが、彼がクスリに手を出したのはニューヨークに居る時だけだったとの事。当時流行していたアッパー系のクラックじゃなくて、ダウナー系のヘロインをやっていたらしい。なんともらしいと思ってしまいました。ハワイも好きで結構行ってたらしく、ハワイのハナが好きだったとの事。ハナはリチャード・プライヤーもお気に入りで日本家屋風の別荘を持っていた。ロサンジェルスでもアトリエを持ち、そこではかなりリラックスして作品を作っていたらしい。なぜかハワイやロサンジェルスではクスリを使わずシラフで居れたそうだ。その時に出会ったのが、この映画監督タムラ・デイビス。もう1人の共通の友人ベッキー・ジョンソンと共にロサンジェルスのホテルでインタビューしていた。しかしデイビスはバスキアが亡くなってから、悲しさの余りにそのテープをお蔵入りにしてしまった。たまたま友人にそのテープを見せた時に「いやいや眠らせていてはいけない、今こそバスキアを知ってもらおう!」と、バスキアの周辺の人達にインタビューする旅に出かけるようになって、この映画は完成したとの事。バスキアが随分とリラックスして語っている姿が、この映画の一番の見所です。監督のバスキアへの愛情が伝わってくる作品です。彼は家出した時から、もう有名になるような運命だったと感じました。
それにしても...まさかあの映画監督ケヴィン・ブレイがバスキアと仲が良かったとは... だって監督、「Linewatch / バトル・ライン (2008)」とかB級作品の監督だよ。面白い映画作るけど、芸術作品じゃないしね。ぜーーーーーったいに彼の作品とバスキアの作品は繋がらないもの...
日本でも12月から公開予定らしいですよ。そしてこの映画見ると、右上の写真の意味が分かりますぜ。
(4.75点/5点満点中:DVDにて鑑賞)