The South Got Something To Say!
The South Got Something To Say!
(南部も言いたいことはある)
1995年、ラップ・デュオ「アウトキャスト」のアンドレ3000がソースアワードにて宣言した言葉である。西だ東だと大揉めしている中で放った。この言葉が私の心にずっと強く残っている。Twitterのプロフィールにも乗せていた程(今は文字数の関係で削除してしまっている)。
1995年アンドレ3000の発言時、自分がそのアメリカ南部に10年以上も生活するとは思わなかった。あれから20年が経とうする今、「確かにアメリカ南部の声は全然届かないなー」と思うことは多い。日本語だと余計に... である。まず、多くの日本人が南部に興味がない。多分ダサいとか思われている。確かにダサいことは多いかもしれないが、とりわけ黒人に関してはダサくない。何しろ、南部の黒人文化は全米のどこよりも(この際言い切る)豊富である。何しろ、アメリカ黒人文化の多くのルーツな場所なのだから。アメリカ黒人にとって人生を変えた南北戦争が始まる直前1860年の人口調査だと、4.4百万人の黒人人口に対して自由黒人はたったの0.5%。『12 Years a Slave / それでも夜は明ける (2013)』のソロモン・ノーサップのように自由黒人が囚われ奴隷になった極わずかな稀なケースもあるが、殆どの黒人は南部にいたということだ。1910年から徐々に始まるグレートマイグレーションと言われる大移動で、北部や西部や中部に移動するまで、多くの黒人にとってのルーツは南部である。今やニューヨークの顔であるスパイク・リーも生まれはジョージア州アトランタで、幼少時には夏になれば母方のアトランタ、そして父方のアラバマ州の小さな町に行っていた。その思い出を描いたのが、『Crooklyn / クルックリン (1994)』である。そして大学では、アトランタに戻っている。LAコンプトン生まれ・育ちのアンソニー・アンダーソンも夏になると南部の親戚の家に毎年のように行っていたという。そういう人は割りと多いのだ。知り合いのカリフォルニア州在住黒人に、私が住んでいる州を伝えると、「親戚がいるので夏に行ったりしていたよ」と聞かされる。そして、14歳のエメット・ティルは、1955年の夏に親戚の家があるミシシッピ州に出かけ、白人女性に口笛を吹いただけで、残虐に殺された。
その南部で長いこと生活してきて、あの映画のこの部分はこういうことなのかと気づかされることもしばしばある。そして、私自身が南部だけでなくカリフォルニア州やハワイ州と言ったところで生活したこともあるので、これは南部らしい! 南部でしかありえない! と思うこともあるし、こういう南部はあまり知られていないだろうなーと思うこともある。せっかくブログという場があるので、それらを共有できたら嬉しいかもと書いてみたくなった。そして皆さんの興味を焚きつけられるように、私らしく映画や音楽や書籍などを通じて分かりやすく書いていくつもりですので、よろしくお願いします。
何しろ、発言をしたアウトキャストをはじめ、南部ラップは発展を続けて一大勢力の一つとなった。そんな風に伝え続ければいつかは伝わるかもしれない。はてなには「アメリカ南部のフライドチキン」というタグすらある(まだ1エントリーだが)ので、伝わるかもしれない。
とりあえず、The South Got Something To Say! カテゴリーもこれでいくので、よろしくです。もちろん映画の100本映画をメインに続けます。たまーにゆるーくこのカテゴリーでも書いていきますので、何卒です。