Come Sunday / 神の日曜日 (2018) (VOD)
所謂クリスチャン映画じゃなく異端な『神の日曜日』
アメリカ人にとって……と書くと、そうじゃない人も居るので語弊がある。多くのアメリカ人にとって日曜日は特別だ。アメリカで日曜に買い物したり映画を観に行くと、正装した老若男女に出くわす。教会帰りの人々。しかもバイブルベルトと呼ばれている南部に暮らす私にとって、彼らの数に圧倒される。正直、お店の数より教会の方が多い!いや、人の数より教会の方が多い!という程、ビックリする位多い。その中には、大きくて立派な教会も多く、私も道を覚える上で教会を目印にしている所も多い。とはいえ、私自身は信仰心は全くない。夫は、キング牧師と同じバプティスト系の所謂プリーチャーズ・サン(説教師の息子)であり、異教徒の私と結婚した夫は「おれは罪を犯している」とたまに軽く言ってきますが... まあ私に信仰心があるならば、川崎大師にお参りに行ってお守り買う位です。話を戻すと……今回の映画は実話です。
カールトン・ピアーソン(キウェテル・イジョフォー)はペンテコステ教会の主教として、オクラホマ州タルサにて大きな教会で教えを説いていた。ある時、可愛がってもらっていた伯父(ダニー・グローヴァー)から連絡が来て、彼の元に向かった。伯父は長い事刑務所にいて、あと6週間で仮釈放される予定だった。しかし伯父はヘマして、その保釈が取り消された。しかしカールトンが保釈委員会に手紙を書けば、カールトンの印象の良さから、また保釈が許されるであろうという伯父の見解だった。懇願する伯父だったが、カールトンは手紙を書く事を拒否してしまった。そして伯父は... 落ち込むカールトンは師と仰ぐオーラル・ロバーツ(マーティン・シーン)にアドバイスを求めた。追い打ちをかけるようにルワンダでの大虐殺のニュースを見てしまう。そういった一連の出来事から、カールトンは「誰も地獄にはいかない」と、異説(Heretic)を唱え始める。多くの信者や仲間が怒りを口にし、カールトンは窮地に陥っていくが...
と、取っつき難い。「誰も地獄にはいかない」と言われ、信者が去っていく所とかは、キリスト教徒じゃない私には分かりにくかった。私なんて「誰も地獄に行かないなら良いじゃーん!」位にアホ顔で思ってしまいますが、キリスト教徒にとってはそこは重要。そんな事言われたらたまったもんじゃないっていうのを理解出来れば、この映画は中々面白いんですよ。私も夫と結婚する前はキリスト教といえど、色んな宗派があって、役職も主教、説教師、神父、チャプレン……と色々あってというのは知らなかった。まあ今は何となく分かります。義母が説教師なので、色々と裏話も聞けます。大変なんですよ、説教師。家に居ても悩み相談みたいな信者が来るし、中にはお金を無心する人だっている。それに対応しなきゃいけない。義母は慣れた感じでアドバイスしてました。裏話は書けないけれど、本当に面白いんですよ。エグイなと。超エグイな……と。と、私の信仰心がどんどん無くなっていく。この映画でもそういう部分がちょっとだけ見え隠れする訳です。
あと、この映画の興味深い点が一点。それはオクラホマ州タルサという事。タルサって、1910年代後半から裕福な黒人コミュニティとして有名で、「ブラック・ウォールストリート」と呼ばれていた位。それゆえに人種的な摩擦も多くて、クー・クラックス・クランもあった。1921年に恋人同士だった黒人男性と白人女性のいざこざがきっかけで、白人女性が襲われたと広まり、大暴動になっている。正式発表死者数は30人だけれど、本当は300人近く虐殺されたと言われている。っていうのをちょっとだけ頭に入れておいても良いかなと。全然関係ないっちゃ、ないんだけど。
難しいけれど、キウェテル・イジョフォーと聖歌隊率いるレジーを演じたキース・スタンフィールド、そしてダニー・グローヴァー、更にロバーツに本人に見えてくるマーティン・シーンが好演!異端児だったカールトンだったからこそ、レジーを救済出来たんだろうなーと。映画の小難しさを演技で押し切った作品!キリスト教の押しつけがましい他のクリスチャン映画よりも絶対に面白い!というか、クリスチャン映画もバラエティに富んできたなと。
Come Sunday / 神の日曜日 (2018) (VOD)(4.5点:1637本目)