丁度この映画を観た日がアフリカ・デー。国連が制定。アフリカでの色々な成功を祝う日らしい。ならば私らしくアフリカ映画で...という事で、持っていたこの作品を。アフリカのマリが舞台。マリ映画と言えば、スレイマン・シセですが、今回の映画はシセではありません。アブドゥライエ・アスコファレ監督。彼もシセと同じくロシアにて映画を学んだ。しかし長編はこの作品ともう一本のドキュメンタリー映画だけ。もっと観たいぞ!この監督!!
マリの砂漠地帯に住む家族。朝に娘は水汲み。弟2人は朝から大喧嘩。それを取り仕切るのがママのザマイトゥ(アミナタ・オスマン)。ザマイトゥにはハンディキャップとなった夫が居た。その夫の政府からの手当てだけが、この家族の収入だった。ママは息子たちの喧嘩でイライラしながら、娘に穀物を買ってくるように言う。しかしツケが溜まっているので買える訳がなかった。娘は嫌々ながらに行くが、やっぱり買えなかった。そんな状況を息子2人は笑い、姉をバカにする。姉は成績が悪かったので学校も行けなかった。ママのイライラはマックスに達する。「本当にどうしようもないわね!」と、入れ物を娘から奪い、夫の面倒を見るように息子たちに言いつけて、自分が買いに出かける。しかしやっぱり買う事が出来なかった。途方に暮れていると、ヨーロッパから来た男たちの姿を見た。ママはそんな人たちが暮らしている地区に出向き、家政婦として雇ってくれと一軒一軒回る。しかし彼らはもう雇っている人たちが多かった。しかも「そんな婆さんは嫌だ」と言われる始末。「娘が居る」と言うと、男たちは「それなら」と言い、娘を連れてくる。しかしママはそこでその意味をやっと察する。男は高い給料を提示した。それを聞いた娘は働きたいとママに懇願するが、ママは断固拒否。お金を投げて娘を連れて帰ってきた。やっと政府からのお金が入る頃だと向かうが、お金はもうないといわれてしまう。もう絶体絶命のママは、昔の彼氏の所に出向く。元彼氏の妻はカンカンだったが、元彼氏はママにラバを与える。そのラバと共に砂漠のオアシスに行き水を汲むママ。砂漠で労働している人たちに水売りを始めるのだが...
この撮影のラストシーンを撮影中に、アスコファレ監督のママが亡くなったらしい。もちろんこの映画のモデル。私たちがイメージするアフリカのお母さんそのままな映画だ。京塚昌子さんタイプ。言葉はたまに悪いけれど、子供たちのことを考えて精一杯頑張っている。そして生きる為にも頑張るのだ。歯を食いしばる。元彼に助けを求めるなんて悪い事だって分かっている。しかしもう仕方ないのだ。元彼の妻にも罪悪感がある。だからこそ仲良くなろうとする夢だってみてしまうし、自分の行為は悪魔的だと思ってしまうのだ。
って難しく書こうとすると、民族・宗教の違いもサラっと描かれていたりするんですよね。ママがヨーロッパの男たちに働きに行こうとすると、既に働いている女たちは若くて、しかも肌の露出が多い。ママはイスラムだから全身を布で覆っている。
そしてアスコファレ監督にとって忘れられない日に撮ったラストシーンが最高に美しい。あんなに美しく上る太陽を見たことがない。その太陽を浴びた彼らもまた美しい。最近はマテリアルな物に目がいってしまい、私は不幸だ!なんて思ってしまっていましたが、これ観た後には私も家族が居るし、最高に幸せな事なんだわーと思い知らされました。当たり前の事を見失っている時に最高な映画であります!!
(4.5点/5点満点中:5/25/15:DVDにて鑑賞)