I am rumor. It is a blessed condition, believe me. To be whispered about at street corners. To live in other people's dreams, but not to have to be. Do you understand?

黒人ホラー映画の中でも、キャンディマンは私のベスト3に入る好きなキャラクターだ。数が少ない黒人映画だが、誰もが知るヒットホラー映画はそこそこある。それには理由がありそうだ。最近でも『Get Out / ゲット・アウト (2017)』に『Sinners / 罪人たち (2025)』という特大ホームラン作品まである。ホラーなので、誰かが死ぬ。フィクションとは言え、誰かが死ぬには理由が必要だ。黒人ホラー映画の場合は、怨念。誰かを恨むその感情。アフリカから無理矢理連れてこられ、奴隷された黒人には恨む理由が400年もあるのだ。400年の異人種間の疑心暗鬼から生まれた『ゲット・アウト』に、400年の伝統や俗説や神話から生まれた『罪人たち』。そして『キャンディマン』には、400年の怨念がある。
シカゴのカブリーニ・グリーンにある都市伝説は、「キャンディマン」と鏡の前で5回唱えるとキャンディマンが出現して殺されるというものだった。都市伝説を研究する地元大学院生のヘレン(ヴァージニア・マドセン)は、最近カブリーニ・グリーンであった殺人事件を調べ、キャンディマンの仕業ではないかと調査を進めていくが...
クライヴ・バーカーの『禁じられた場所』を原作に作られた。がしかし、原作のキャンディマンは白人だったという。長いブロンドで赤い髭。ただ服装やフックに蜂にヘレンなどは原作通りである。映画ではキャンディマンが黒人となりシカゴのカブリーニ・グリーンが舞台となったことで、新たな魂が吹き込まれた(魂というより、スピリットか?)。まるでフォークロアのジョン・ヘンリーのようかの大男になった。しかも、キャンディマン(特に1作目)には、吸血鬼にも似たその出自による高貴な雰囲気や知性があった。黒人男性のステレオタイプの一つであるたくましい肉体は、いつも性的搾取で描かれてきたが、今回は知性や気品まで兼ね備えている。400年怨念を黒人に植え付けてきた者たちにとって、知性は一番の脅威である。だからキャンディマンが好きだ。
舞台カブリーニ・グリーンは、グレートマイグレーションで夢や希望を持って南部からやってきた人々が住むことになった場所。しかしやがて夢は干からびてしまう。アメリカの黒人には、映画『Cooley High / クーリー・ハイ (1975)』やTVシリーズ『Good Times / 日本未放送 (1974-1979)』にて有名な場所である。両方ともに同じ脚本家の作品で、どちらも貧しい一般家庭が描かれている。なぜキャンディマンがそこに居ついているのかは劇中描かれるので触れないが、そこに居つく理由は十分にあるほどの怨念。彼が語る歴史には説得力がありすぎた。才能があったにも関わらず、自由黒人だったのにも関わらず、黒人というだけで流した涙と血。執念ともなっていく。黒人たちにはその怨念と執念が十分すぎるほど理解できたであろう。
本作が優れた点が「鏡の前で5回その名を唱えると出現する」にもある。本作は1992年作品。1991年から『Boyz N The Hood / ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)』や『New Jack City / ニュー・ジャック・シティ (1991)』などが公開されたブラックムービーの黄金時代。多くの若者たちが映画館に出向いた時代。ひょっとしたら鏡の前で唱えたら... と思う人も多かった。実際に私が面白がってやろうとしたら、アメリカ黒人である家族に真剣に止められた。未だにこの映画が持つインパクトの大きさを知った。キャンディマンは本当に都市伝説となっているのである。
本作から28年後に『Candyman / キャンディマン (2020)』が『ゲット・アウト』ジョーダン・ピールのプロデュースによりリメイクされた。そしてそれから4年後の去年、オリジナルのキャンディマンを演じたトニー・トッドが69歳で他界。早すぎる死は、とても悲しく寂しい。鏡の前に立つと、ふと「キャンディマン」を5回唱えたくなってしまう。キャンディマンが言った通り、彼のスピリットは街角で夢の中で... 信じる誰かによって生き続けることを身をもって感じている。
(4.75点/5点満点中)