という訳で、今回もキング牧師。というか、今回こそはキング牧師!ゴリゴリのキング牧師おたく。心の底から心酔している。英語の教科書でキング牧師の「私には夢がある」の演説を読んだ時からずっと。
1968年の12月。キング牧師ファンの私にはすぐにピンと来た。1968年という事は、キング牧師が暗殺された年である。キング牧師の居ない初めてのクリスマス。妻のコレッタ・スコット・キングがテレビのインタビューに毅然と答えている。しかし「今年のクリスマスは寂しくなりますね。(中略)こういう特別な時など...1963年のイースターの時の事を覚えております。私の夫はバーミングハムの刑務所に居ました。私は4人目を産んだばかりで、家から出れない時でした。とても落ち込みましたよ。でもとても意味のあるイースターでした。イースターは受難の時ですから...(続く)」と話していた。キング牧師がイースターで逮捕されてしまうちょっと前、1963年4月にアラバマ州の空港に降り立ったキング牧師から、1968年4月に銃弾に倒れたキング牧師までを追う。
私がキング牧師に心酔しているのは、彼が非暴力を貫いたという事と明確で誰にでも分かるビジョンを持っていたという事。そして、指示するだけでなく、自分の足で問題となっている地を訪れ、自分の目で確認した事もある。あのレベルになれば、現地に出向く事なんてしないで、大学などで演説でもしていればお金は入ってくるからね。そこに甘んじなかった。でもそのせいで、体はボロボロになってしまいましたが... ご存知のように暗殺される前日の夜、キング牧師は「約束の地を見た。私はみんなと一緒にそこへ行く事は出来ないかもしれないが...」と、その数時間後の自分を暗示するようなスピーチをメンフィスの教会でした時、彼は熱があった。体は本当にボロボロでした。
現在のボルチモアやファーガソンで思うのが、今は指導者が居ないという事。キング牧師のようにビジョンを持って導く人がいない。だからあのようにブレてしまう。確かにキング牧師の時にも暴動になってしまった事はある。特にこのドキュメンタリーで描かれた年代はそうだ。1966年シカゴでは若者の怒りが爆発した。暴動が起きた。キング牧師はシカゴに呼ばれる。キング牧師は若いギャングたちを集められた部屋で、4時間もセミナーを行って説得させたそうだ。そしてその後にシカゴの郊外シセロで公正な住居環境を巡る抗議行進をした時、キング牧師は白人の暴漢たちに石やレンガに爆竹などが投げ込まれて、非常に危ない状況であった。それでもTV等のインタビューを受けながら歩くキング牧師の姿があった。そしてそれに答えるように公正住居法がキング牧師暗殺後に執行されたのだった。
このドキュメンタリーは、面白い事に今度日本でも公開される『Selma / グローリー/明日への行進 (2014)』で描かれている年代と全く同じなのです!『グローリー』では、ノーベル賞の授賞式前から始まるけれど、バーミングハムの教会爆発やJFKからリンドン・ジョンソンへ大統領が代わる時、FBI(フーヴァー長官)からの嫌がらせテープなども描かれている。なので『グローリー』を補足するのにぴったりなドキュメンタリー。まあでも何回も書いているけど、これはキング牧師にとっての戦いのほんの一部にしか過ぎませんが...
感想やオフィシャルサイトはこちら。オフィシャルサイトのPBSのページは充実しているので、『グローリー』見る前にでも一読すべし!
(4.5点/5点満点中:4/26/15:DVDにて鑑賞)