ルビー・ディ
黒人映画界が誇る名女優で活動家でもあったRuby Dee (ルビー・ディー)が6月11日の夜にニューヨークの自宅で他界した。ディの娘であるノーラがAP通信に明らかにした。死因などは明らかにされていない。
元々はアメリカン・ニグロ・シアターに所属し、舞台で有名となった。1946年『That Man of Mine』という作品で映画デビューし、野球界のレジェンドであるジャッキー・ロビンソン本人が出演した自伝映画『The Jackie Robinson Story / ジャッキー・ロビンソン物語 (1950)』では、ロビンソンの妻を演じて注目を集めるようになる。その次の作品『No Way Out / 復讐鬼 (1950)』では、後に夫となるOssie Davis (オシー・デイビス)と出会う。2人はオシー・デイビスが2005年に他界するまで連れ添い、おしどり夫婦として有名だった。しかしスクリーンでは当時人気であったシドニー・ポワチエの妻や相手役を演じる事が多く、有名なのは『A Raisin in the Sun / レーズン・イン・ザ・サン (1961)』や『Edge of the City / 暴力波止場 (1957)』であろう。
1980年代にはそんな2人の映画界や公民権運動での活動に尊敬していたスパイク・リーが2人を『Do the Right Thing / ドゥ・ザ・ライト・シング (1989)』や『Jungle Fever / ジャングル・フィーバー (1991)』に立て続けに起用し、若いファンも彼等の功績を知るきっかけとなった。
2004には、大統領から直々にメダルが贈られる名誉あるケネディ・センター名誉賞に夫のオシーと共に個別ではなく「オシー・デイビス&ルビー・ディ」として2人で受賞している。そして次の年2005年の2月にオシー・デイビスが他界。
2007年には『American Gangster / アメリカン・ギャングスター (2007)』で、長いキャリアで初となるアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされた。残念ながらそれが最初で最後となったが、同作品でスクリーンアクターズ協会の助演女優賞、『デコレーション・デイ/30年目の勲章』というテレビ映画で1990年にエミー賞のミニシリーズ・テレビ映画部門の助演女優賞、2007年にはオシーとの自伝を2人で読んだ「With Ossie And Ruby: In This Life Together」にて、グラミー賞のスポークンワード最優秀賞などを受賞している。
黒人映画界を代表する女優であり活動家でした。オシーに続きルビーまでも... 2人はスパイク・リーが描いてきたように現代黒人映画のパパとママ的な存在であった。ルビー・ディの50年代から70年代は、今でいうならケリー・ワシントン的でしたね。黒人の男性が主役となる作品では、その相手役として引っ張りだこでした。私が好きなのは『レーズン・イン・ザ・サン』や『暴力波止場』、そしてブロック・ペーターズの妻役の『The Incident / ある戦慄 (1967)』、夫オシー渾身の作品『Purlie Victorious / 日本未公開 (1963)』、優しい演技だった『Take a Giant Step / 青い課外受業 (1959)』等の姿が思い出されます。安らかに。
Ruby Dee - IMDb
ルビー・ディー(Ruby Dee) のプロフィール - allcinema
Ruby Dee – Broadway Cast & Staff | IBDB