エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を映画化。このイギリスの名作は、もちろん幾度も映画化されているが、黒人が主役のヒースクリフにキャスティングされるのは初めて。ブロンテは原作の中で、ヒースクリフを「黒い肌、黒い髪、黒い瞳」と描写している。とはいえ、どうやらブロンテが描写したヒースクリフは所謂アフリカ系の黒人ではなく、インド系の男性を描写したようだ。しかしこの映画ではヒースクリフをアフリカ系の黒人にして、映画に別の角度と要素を生んでいる。2時間ちょいある映画だが、「嵐が丘」の全てを網羅した作品でもない。ヒースクリフとキャサリンの愛憎物語を描いている。なので物語も、ヒースクリフがキャサリンのアーンショー家にやってくる所から始まる。
アーンショーの主が物凄い嵐の日、身寄りもない黒人少年(ソロモン・グレイブ)を家に連れて帰る。”キリスト教徒的な行為”として、この少年を育てる事にし、ヒースクリフと名づけた。家族にも、家族として接するようにと言うが、長男のヒンドリーは「兄弟なんかじゃない」と反発。その少年の肌の色にも反発したのだった。しかし妹のキャサリン(シャノン・ビアー)は、ヒースクリフに心を開いた。アーンショー一家が住むところは常に風が吹き荒れる荒野だった。ヒースクリフとキャサリンはそんな「嵐が丘」で、たくましく育っていくが、次第に2人には恋愛感情も生まれていく。しかし、近所にリントン家という上流家庭が来る。彼等にはキャサリンとヒースクリフと同じ年のころのエドガーとイザベラが居た。とある事をきっかけに、キャサリンはリントン家から手厚い歓迎を受けた。しかしヒースクリフは省かれた。上流家庭の事を知ったキャサリンは、それに夢中になってしまう。そしてエドガーにプロポーズされ、悩むも受けてしまう。ヒースクリフは家を出た。そして変わり果てた「嵐が丘」に、成人したヒースクリフ(ジェームス・ハウソン)が戻ってきた。身なりを整え、そしてお金も持っていたのだった...
まー、イギリスらしく暗い!w でもその陰気さが、「嵐が丘」を見事に再現していた。過酷さと残虐さ。そしてイギリスの映画って、子供をやたらと天真爛漫に描かない所も好きだ。子供だからこそある残虐さとかも見事に描写してみせる。とまあ、ヒースクリフとキャサリンの少年・少女時代を演じた2人もお見事でした!ヒースクリフは10代なのに哀愁があって、それが後に復讐と化していく。そしてこの映画には極端に台詞が少なくて、表情とかだけで伝わってくる部分も多いね。小間使いのネリーがヒースクリフに「貴方はプリンスね」というシーンが好き。その時にはヒースクリフの顔が非常に端整に見える。
しかし、10代のキャサリンを演じた女の子はとてもタフそうで強そうなのに、大人になったキャサリンはとても綺麗で華奢。絶対にキャスティングミス。ありえないわ、あれは。
でもさ、ヒースクリフって聞くと、私はどうしてもビル・コズビーの「コズビー・ショー」を思い出すわ!コズビーが演じたのが「ヒースクリフ」。まーーーーったく逆で、憎しみとか復讐とか絶対にない、子供好きで陽気な中年オヤジでしたけどねー。
それにしても「Wuthering Heights」を「嵐が丘」にした昔の日本人はセンスあり過ぎ。
(3.75点/5点満点中:12/3/13:DVDにて鑑賞)