かなり根性のあるドキュメンタリー。ドキュメンタリーと言えば今話題の「ザ・コーヴ」とかもそうですが、昔からプロパガンダとしての役割が強い。この作品は最近の物じゃなくて、1971年に作られた作品。丁度「ブラック・パワー」が台頭していた時代。というか、映画の世界では遅れてましたよね。「ブラック・パワー」はストークリー・カーマイケルがスピーチで発し、1968年のメキシコ・オリンピックで陸上選手が表彰台で拳を突き上げた時がピーク。映画の世界は本当に遅れていて、メルヴィン・ヴァン=ピープルスの「Sweet Sweetback's Baadasssss Song / スウィート・スウィートバック (1971)」でようやく「ブラック・パワー」の波を感じる作品が現れた感じ。2-3年のタイムラグがありますね。その中で作られたのがこの作品。ブラックパンサー党のシカゴ支部のチェアマンのフレッド・ハンプトンの「殺人」について検証するドキュメンタリー。今のドキュメンタリーの作り方とは違って、ナレーターは存在しません。生々しい本人達の語りのみ。監督と制作者はシカゴで映画製作をしていた白人の2人で、監督の方はボブ・ディランと親交のあった人。ボブ・ディランと言えば、政治的な発言も多いミュージシャン。この2人は政治的な意見が合って意気投合したのかは、私はボブ・ディラン研究家じゃないので分かりませんが、でも何となくそうなんじゃないかと思わせますね。政治と言えば、ハンプトンの側近だったボビー・ラッシュの若き姿も見れます。ボビー・ラッシュは、オバマが選挙で唯一勝てなかった人物。ラッシュもひょっとしたら殺されていたかもしれない事がこのドキュメンタリーで分かります。もしあの時部屋に居たら... そしたらもしかしたらオバマ大統領は誕生してなかったもしれない。運命。
映画の前半はフレッド・ハンプトン本人のスピーチ映像が多いです。今のラッパー達よりも矢継ぎ早ながらリズミカルに彼のそしてブラックパンサー党の思想を語っていき、割りと大きな体だったので迫力があるのが一目瞭然です。彼のスピーチを聞いて思い出したのがこの前の「Why We Laugh: Black Comedians on Black Comedy / ブラック・コメディ 〜差別を笑いとばせ!〜 (2009)」というドキュメンタリーでコメディアンのエディ・グリフィンがリチャード・プライヤーについて語った言葉が具体化して私に伝わってきた。「リチャード・プライヤーは黒人地区に踏み込めない白人達を安全に黒人社会を垣間見せて、黒人の俺達には白人社会で安全に彼のアルバムを聞いてられるようにしてくれたんだ」という言葉。フレッド・ハンプトンは実に危険に黒人社会を語っているように聞こえた。わざとそうしているかのよう。彼の言葉は黒人達を高揚させて、やれば出来るように聞かせてくれる。だからこそ政府にとっては危険だった。
この時期のブラックパンサー党はFBIから睨まれており、1969年の1月にロサンジェルスで元ギャングスタでパンサー党員だったバンチー・カーターが暗殺されたばかり(これがLAのギャングスタのグループの設立を拡大させてしまう)で、12月にはシカゴでこのドキュメンタリーとなったフレッド・ハンプトンが殺されてしまう。「暗殺」とか「殺されてしまう」なんて今では平気で書けますが、当時の警察側の発表は「警察側の正当防衛」だった訳です。
ようやくハンプトンのアパートメントを知ったFBIと警察は「無許可の武器所持」という事で家宅捜索をする為にアパートに向かいノックした所、ハンプトン側からいきなり発砲されたので警察も発砲し、そのやりとりは50分も続いたと言う。警察が現場検証している映像や、現場をもう一度再現している映像などもある。そのアパートには妊娠した女性も居たが、お構いなしで警察から発砲が続いたという。現場に居た生存者達の証言から、ハンプトンは銃を持っていなかったし発砲もしてないと分かったが、警察はあくまでも「正当防衛」を貫く。でもパンサーは挫けない。発砲された弾の跡から、ハンプトン側からの発砲は不可能との見解を発表している。また別の部屋に居たパンサー党員は怪我などをしたが、警官側の怪我人は一人も居なかった。そしてハンプトンの亡骸を運ぶ警官達は笑顔で写真に納まっている。
その時、ハンプトンはたったの21歳。「何か勝利を得るためには犠牲は当たり前だ」と語っていたハンプトン。その犠牲とは何か既に理解していたように感じる。しかし代償は大きすぎた。
(5点満点:DVDにて鑑賞)