ボブ・マーリーが生きていれば67歳になっていた誕生日に見ました。
ジャマイカやバルバドスとかトリニダード・トバゴなどのカリビアンの国々からなる連合である西インド諸島クリケットチームのドキュメンタリー。クリケットには全く興味はありませんでしたが、思っていた以上に激しいですねー。その激しさにビックリしました。その西インド諸島のイギリスの植民地だった国々は、イギリスが置いていったクリケットが盛んだった。彼等はビーチでクリケットを嗜んでいた。少年達にとって、クリケット選手になる事が夢だった。でも西インド諸島チームが作られた当初は、やはり白人の支配下にあった。キャプテンをやる事が許されなかったのだ。ジャマイカの独立と時を同じくして、ようやく黒人のキャプテンが登場する。しかし、イギリスやオーストラリア等の強豪チームには勝てなかった。恥ずかしい思いもした。しかしそこから彼等は学んでいく。1974年にはクライブ・ロイドがキャプテンになる。その時にオーストラリアと戦うも、デニス・リリーという選手が強烈なボールを投げる選手に翻弄されてしまう。試合後には悔しくて泣いた。でも彼等はやっぱりそこで学ぶ。俺達もそうすればいいのだ、と。ロイドはそういう選手を新しく集めるのだ。
そして1976年にはイギリスに渡り、試合をする。イギリスにはジャマイカ等のカリビアンからの移民が沢山いて、当時は差別や雇用での差別などで貧困で苦しんでいた。しかも移民への排他的な運動も強かった。イギリスのキャプテンは西インド諸島チームの事を「彼等をひれ伏せてやる」とコメント。そのコメントが逆に西インド諸島チームを燃えさせてしまう。そこで勝利した。イギリスからの独立国が、本土イギリスでイギリスチームから勝利するという事は、我々には想像もつかないほどの感情がある。そして南アフリカでソウェト蜂起が起きると、彼等チームは「特別白人」の特権を約束されたが、それを「とんでもない」と断固拒否。逆にボイコットしてしまうのです。
15年負けなしだったというのも凄い。その当時の選手の1人、ヴィヴ・リチャーズがインタビューに答えているのだけど、彼の英語はカリビアン特有の訛りはない。とても紳士的で彼の言葉の一つ一つが、胸を打つ。素晴らしい選手というのは、内面も素晴らしいという事を再確認する。とっても魅力的な人物。クリケットには詳しくないが、相当凄い選手だったらしい。
そしてボブ・マーリーとボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを組んでいたバニー・ウェイラーがインタビューに答え、クリケットやジャマイカについて語っていた。他のアーティスト達が時々、クリケットについての曲を披露しているのも面白い。レゲエだったり、カリプソだったり。
しかしなぜ白人のイギリス人も多いアメリカではクリケットが盛んにならなかったんだろう?なんで西インド諸島だけ??今度、勉強します。
One Love.
(4.5点/5点満点中:2/6/12のボブ・マーリーの誕生日にDVDにて鑑賞)