若干17歳で制作した映画「Straight Out of Brooklyn / ストレート・アウト・オブ・ブルックリン (1991)」が認められて、センセーショナルなデビューを果たしたマティ・リッチ監督。インディペンデンス映画祭の最高峰でもあるサンダンス映画祭では見事に審査員特別賞を受賞した。ここ日本でも様々なメディアに取り上げられ、無事に劇場公開も果たしている。その作品がアメリカで公開されてから、ちょうど20年。マティ・リッチ監督がBlackfilm.comのインタビューに答えている。その中では、この映画を撮った35ミリのカメラは母のクレジットカードを借りていた事や、「羊たちの沈黙」を撮り終えたばかりのジョナサン・デミがこの映画を見て、後にエクゼクティブプロデューサーとなるアイラ・デューチマンを紹介した事等を語っている。
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またこの映画が公開された1991年はブラックムービー界にとってモメンタムとなった年で、「Boyz N The Hood / ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)」、「New Jack City / ニュー・ジャック・シティ (1991)」、「Jungle Fever / ジャングル・フィーバー (1991)」、「The Five Heartbeats / ファイブ・ハートビーツ (1991)」、「A Rage in Harlem / レイジ・イン・ハーレム (1991)」が公開された年でもある。この年は「ブラックムービーのニューウェーブ(新しい風)」や「新しい時代」等とメディアも書きたて盛り上がった年だった。しかし、1991年にアメリカで劇場公開されたブラックムービーの数から比べて、現在はその半分程。その事を聞かれたマティ・リッチ監督は、海賊版の存在を挙げている。今は携帯等のモバイル系でも映画が簡単に見られるし、品質は最悪でも海賊版があれば安く見られる。劇場のチケットセールスがキーとなっているが、多くのブラックムービーはビデオスルーかビデオ・オン・デマンドのセールスに頼っている。
そして「The Inkwell / ファンキー・サマー・ビーチ (1994)」が興行的にも評判も振るわなかった事で、マティ・リッチ監督は映画の世界から離れてしまう。しかし、ゲーム産業から声がかかり、幾つかゲームソフトをプロデュースした後に、フランスのパリに招待され、そこでもゲームをプロデュース。今はゲーム産業に居るが、3Dアニメも手がけていて、韓国では3Dアニメを制作したという。自身の会社「マティ・リッチ・ゲームス&エンターテイメント」を立ち上げ、3Dゲームや3Dアニメを制作しているという。
Straight Out Of Brooklyn's 20th Anniversary - blackfilm.com/read | blackfilm.com/read