1972年ワッツは熱かった『Amazing Grace』
1972年、ロサンゼルスのワッツは熱かった。気候的な暑さではなく、この年にワッツの歴史を模り、そして語り草となるイベントが2つも起きたのだ。まずは、この映画となったアレサ・フランクリンによるゴスペルライブアルバムの収録、そして、『Wattstax / ワッツタックス (1973)』である。
1972年1月、既に20枚以上のアルバムを発売し、グラミー賞にも輝いていたアレサ・フランクリンは、何か違うことをしたいと模索していた。アレサは、自分が小さい頃から親しんだゴスペルライブアルバムの制作を思いついた。『追憶』や『トッツィー』などで知られるシドニー・ポラック監督が、そのアルバム制作の模様を撮影することが許された。その後発売されたアルバムはベストセラーとなる。ポラック監督が撮影した映像は、ライブ映画として上映される筈だったが、テクニカルの問題でお蔵入り。時を経て、編集し直して、ドキュメンタリー映画として映像は甦った。
ライブにはハプニングがつきものだ。ジェームズ・ブラウンが「Live at the Apollo」というライブ・アルバムを制作した時にも起きた。「俺がJBだ!」という自伝でもそれについて触れている。お婆ちゃんが卑猥な言葉を発し、マイクがそれを拾ってしまった。でもそのライブ感が受けた。JBがそのアルバムを制作した頃は、ライブアルバムの常識はなくて、所属レーベルから猛反対されてしまう。どうしてもライブアルバムを作りたかったJBは、自主制作でアルバムを制作したほどだった。ライブでハプニングといえば、エディ・マーフィの『Eddie Murphy Delirious / エディ・マーフィー/ライブ!ライブ!ライブ! (1983)』のハプニングも思い出させる。エディ・マーフィの見事な切り返しに、アッパレだと感じたものだった。そういったライブでのハプニングの対応に、エンターテイナーとしての真価が問われる。このアレサ・フランクリンのライブには、流石にそういうハプニングはない。バプティスト教会という神聖な場所なので、観客がそれを弁えている。JBやエディ・マーフィのライブとは違うのだ。でも、アレサの迫真のゴスペルを聴いてしまうと、黙っては居られない。徐々に観客が高揚していくのが分かる。立ち上がりリズムを取る者、一緒に口ずさむ者、足を鳴らす者、神の名を叫ぶ者... その観客と共に、アレサの熱も高まっていくのが分かる。そして1月とは思えない熱気で、汗が凄い。そんなアレサの汗をそっと拭くアレサの父C.L.・フランクリン。そしてジェームズ・クリーブランドとの共演とアレサの即興は、圧巻で凄いものを見せつけてくれる。いつの間にか、自分も1972年に行われたその教会に居るように勘違いしてしまう。
一曲目を歌う前のアレサ・フランクリンの顔は、ベテランとは思えないほどの緊張感が漂っている。しかし、歌いだすと、私たちが知るいつもの貫禄のアレサが登場する。ライブ・アルバムだけでは知ることが出来なかった一面も見れるのが映像記録の良さである。
(4.5点:1717本目)
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