インディペンデンス映画祭界隈で評判のいい作品。2002年にワシントンDC周辺で起きた連続射撃殺人事件についての作品。ツイッターにも書いたけれど、この事件の時、犯人が黒人だった事、しかもスナイパーは17歳の青年だった事は、黒人社会にとっても大きな衝撃であった。なので、事件からまだ10年ちょっとしか経っていないが、もうすでにこの事件の映画化は、「D.C. Sniper: 23 Days of Fear / スナイパー 連続狙撃犯 (2003)」と「D.C. Sniper / 日本未公開 (2010)」と、3本目である。犯人はジョン・アレン・ムハマドと17歳のリー・ボイド・マルヴォの2人。2人には血縁関係は無いが、マルヴォはムハマドの事を「Dad(父さん)」と呼んでいた。そんな2人の出会いから、この映画は遡って、どうしてそのような犯罪に至ったのかを、克明に描いている。
カリブ海に浮かぶアンティグア島に居たリー・ボイド・マルヴォ(テクアン・リッチモンド)。どういう訳が、母親がマルヴォを置いて出て行く。食べ物もなく、1人で途方に暮れるマルヴォ。島を彷徨っていたら、子供を連れて仲良く歩く男を見つける。ただついて歩く。そして別の日にも、その男を見かけ、ついて行く。彼等は海に着いた。マルヴォは海の中に投身する。その男が助けた。男は、ジョン・アレン・ムハマド(アイゼイア・ワシントン)というアメリカ人だった。ムハマドは何も言わずにマルヴォに食事を与え、家に住まわせた。ムハマドはマルヴォを連れて、アメリカに戻った。ムハマドの子供たちを取り戻す為に。移民局にはマルヴォは息子としてある。ムハマドの彼女の家にいたが、ムハマドと彼女が喧嘩して、ムハマドの陸軍時代の友人(ティム・ブレイク・ネルソン)の家に厄介になった。友人は銃マニアだった。猟に出た時に、マルヴォが生まれながらの名手である事を知り、ムハマドはとんでもない計画を考えだしたのだった。そして「俺を愛しているか?」と、マルヴォには自分への忠誠心をある事ではかろうとし...
人々を恐怖に陥れたあの事件を、実に淡々と描いている作品。その淡々さが、逆に恐怖を煽る。大半が、ワシントンDCではなく、ワシントン州の方が舞台になっているので、雨が多くどんよりした感じが多い。マルヴォとムハマドの直接的な2人の会話は少ない。だけど彼等には何かが結びついたのが良くわかるのだ。ムハマドはマルヴォに優しかったとは思えない。かなり酷い仕打ちをしていたようにも思える。それでもマルヴォは、ムハマドに自分の父親像を感じた。ムハマドにとっては、正直マルヴォはどうでも良かったのも分かる。自分の子供たちに夢中になっていたから。だからと言って、マルヴォのように、自分の子供の代わりをマルヴォには求めてはいなかった。マルヴォの気持ちをムハマドは搾取していたとも取れる。というのが、ひしひしと痛い程に伝わってくる寂しい青い映像。
そんな冷酷人間ムハマドの殺気をアイゼイア・ワシントンが、そして父親を望み続け愛情に飢え必死にムハマドにすがる息子をテクアン・リッチモンドが、見事に再現している。大人になると、このマルヴォが感じていた恐怖心を、忘れてしまいがちである。そんな心の隙にムハマドは入り込んだ。そしてマルヴォは最後に叫ぶ「俺の父親はどこだ?」と。マルヴォは普段ムハマドを「Dad(父さん)」と呼んでいた。しかしこの最後の叫びは「Father(父)」であった。観客には、ムハマドの事なのか?それもマルヴォと血のつながった父の事なのか?両方に取れる。だからこそ、この映画は観客の心をグサリと抉るのであった。
(4.5点/5点満点中:1/16/14:DVDにて鑑賞)