Pariah / 日本未公開 (2011) 994本目
公開される前から「第2のPrecious: Based on the Novel Push by Sapphire / プレシャス (2009)」と評判の高かった作品。実際に映画祭等で公開されると、数々の賞にノミネートし、受賞も果たした。元々はショート映画だった作品を長編映画に作り直し。主演アイリケを演じたアディペアオ・オデュイエも、アイリケの親友ローラを演じたパーネル・ウォーカーもその短編に出演している。監督のディー・リースはニューヨーク大の映画科の生徒だった。ニューヨーク大の映画科と言えば、スパイク・リー。そこで教鞭に立っているスパイク先生の生徒でもあった。なんでも授業以外でもスパイク先生は生徒と話せる時間を設けていて、リースは足しげくその時間に通い、スパイクと話した。それもあって、スパイク先生の映画「Inside Man / インサイド・マン (2006)」でインターンとして働くことが許され、スパイク先生が監督しているその撮影現場で実際に見て、沢山の事を学んだとの事。で、スパイク先生が時間のある時に、この映画の脚本を読んでもらって、沢山のアドバイスを貰ったとの事。長編映画にする時に、ダメ元でスパイク先生に製作総指揮に...とお願いしたら、なんと承諾。という訳で、この映画はスパイク・リーが製作総指揮を務めている作品。
監督ディー・リースの半自伝的な作品。主人公アイリケは多感な高校生であり、レズビアンである。親友のローラは「Boyz N The Hood / ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)」でアイス・キューブが演じたドゥボーイを彷彿とさせる風貌と態度。その強気な性格故にレズビアンである事をオープンにし、実の母親からはのけ者(あえてタイトルと合わせてみる)にされている。もちろん社会からも。食べていくために学校には通えなくなった。唯一、妹が理解してくれている。アイリケも理解してくれていると思っていた。でもアイリケは、レズビアンである事をオープンには出来ない。そんなローラの姿を見ているのもあるだろうし、今でも不仲な両親にそんな事を言ってしまえば、余計に2人を乱す事も分かる年頃だからだ。だからオープンに出来ずに居た。そんなアイリケをローラはAGだと茶化す。この映画で唯一理解出来なかった単語「AG」。曖昧なゲイという意味だそうだ。だからアイリケにはそんな経験もない。恋した事もない。だからローラの優しさにある気持ちなんて理解出来ない。でもアイリケのママはアイリケの秘密を分かっていた。だからこそ、アイリケのママも仕事場の病院ではどこか「のけ者」にされていた。絶対にうちの娘は違う!と言っていたパパも、やはり社会では娘がそうなんじゃないか?と「のけ者」にされる。タイトルは「のけ者」という意味。アイリケはレズビアンであるが故に「のけ者」である。でも、アイリケがオープンにすれば、その運命を家族も共有しないといけない。そうしたくないから、ローラの母親はローラを「のけ者」にしたのだ。
所で、私はこの映画の感想を書く前に、どうしても見ておきたい監督が居た。それがシェリル・デュニエである。ディー・リース監督と同じくレズビアンであり、リースよりも先に映画監督という道を選んだ女性。私は監督の「The Watermelon Woman / ウォーターメロン・ウーマン (1996)」という作品を持っているとずっと思っていたが、持っていなかった。でもなぜか彼女の初期の短編作品集のDVDを持っていた。ので、早速見た。デュニエもスパイク・リーに影響されていて、自ら主演もする。黒人社会はゲイやレズビアンのLBGTを拒絶する人も多い。それは古くからの信仰心によるものかもしれない。でも面白いのが、それを強制された人ほど反発している部分もある。この映画のアイリケのママも敬虔なクリスチャンで、アイリケには「神は間違いなどおこさない」=つまり神は人して間違いであるゲイなんて作り出さないと語る。シェリル・デュニエは宗教については描いていないが、カトリックの厳しい学校に通っていたという。それ故に貴方は神の間違いなんて言われて悩むのでしょう。でも黒人男性では芸能やスポーツの社会で、ゲイである事をオープンにしていた人は多い(今度これについてもじっくり書きたいとはずっと思っている)。でもレズビアンをオープンにしていた人は少ない。少なくても女優でレズビアンである事をオープンにした人は、今の所コメディアンヌのWanda Sykes (ワンダ・サイクス)くらいしか知らない。シェリル・デュニエは「黒人であり、女性であり、そしてレズビアンである事は3重の重荷」だと語っていた。それ故にオープンにはしないのかもしれない。そしてどうして黒人女性がレズビアンになるのか?を理解する上でも、重要となるのがアリス・ウォーカーの「カラー・パープル」。小説では、ウォーカーは細かく描写していたが、映画「The Color Purple / カラーパープル (1985)」ではスピルバーグがその点を軽く収めてしまったので、全く理由が分からない映画になってしまった事もある。映画でも自由には描かせてくれなかった。
そんな中で、主人公のアイリケは「私は神の犯した間違いなんかじゃない、私はこの道を選んだのよ!」という姿が、とっても清清しい。そう間違いなんかじゃない。
(5点満点:4/25/12:DVDにて鑑賞)