アミリ・バラカがリロイ・ジョーンズ時代に書いた戯曲の映画化。アミリ・バラカは、戯曲化であり詩人であり音楽にも造詣が深い。ラトガース大学にハワード大学にコロンビア大学でも学んでいたが、学士は取得していない。アメリカの空軍にも従事したが、本を沢山持ちすぎていた事で不名誉除隊している。その本の中に「共産党宣言」があったと言われていて、仲間からの告げ口により除隊させられた。当時をバカラはこう語る。「誰かが、俺が共産主義だと言ったのさ。それは40年後に真実となったのだが」。という事で今は共産主義。でもこの戯曲を書いていた頃は、グリニッジ・ヴィレッジに住み白人でユダヤ系の作家の女性と結婚し、ビート世代にどっぷりと足を踏み入れていた。そしてこの作品は舞台の有名な賞の1つであるオビー賞を受賞している。映画化になった時には、バラカはブラックナショナリズムに傾倒。マルコムXが暗殺された後(1965年)には、その白人の妻と別れて、ハーレムに戻ってしまうのです。ちょうどその頃に出来たのがこの映画。でも先に書いたように元となった戯曲はビート世代の頃。
この作品は地下鉄の電車の中だけで起こる出来事を描いている。身なりのいい若い黒人男性と、その男性よりちょっと年上の白人女性が主役。黒人男性クレイを演じているのが、「Malcolm X / マルコムX (1992)」でイライジャ・ムハマドを演じたアル・フリーマン・ジュニア。クレイは電車に乗っていると、止まったプラットフォームに白人女性が居るのに気づく。彼女は明らかにクレイを誘惑する仕草を見せた。しかし電車は出発したが、さっきの女性がクレイのもとに現われる。彼女はルラという。「私の事見つめていたでしょう?」とルラはクレイに話しかける。クレイは「いや、見ていただけだ」と返す。車両には彼らしか居なかったのもあって、2人は会話を始めるのです。しかしそれはある悲劇を生むきっかけとなってしまうのです。
バラカが...いやジョーンズが地下鉄を舞台に選んだ理由に、「現代の神話がつまっているから」と答えている。ダッチマンという題名も「フライング・ダッチマン」から取られている。そしてルラが電車に乗り込んだ時に後ろに見える社内広告には全文がハッキリとは読めないようになっているが「ダッチマンが...」という文字が書かれた広告がある。Fine Cigarと書かれているので、おそらく葉巻の広告だ。
そしてクレイを必要以上に誘惑するルラ。彼女はその間絶え間なくリンゴを食べる。これもジョーンズは、アダムとイヴの話を使っている。クレイを誘惑し、そして今度はルラが騒ぎだして、クレイを恥じらいと怒りの方向へ挑発する。そんなルラにクレイは「いつか誰かに殺されるぞ」と言うが、実はその台詞には裏があったいう訳です。
ルラはアメリカを象徴しているとも言われている。特に白人のリベラル。ルラは「私はいつも嘘つくのよ。沢山ね」という台詞とかもあり、それを考えるととても政治的な訳です。クレイは黒人男性のジレンマ。実に切ない深いドラマなんです。さすがにリロイ・ジョーンズ、前衛的。その前衛的な部分を上手く映像化してみせたのがこの作品が監督デビュー作になるアンソニー・ハーヴィ。この次の作品「冬のライオン」でアカデミー賞の監督賞にノミネート。しかし、ルラ...いやアメリカなんですな。この映画を1967年にアメリカで作らせる事はなかった訳ですよ。
(5点満点:DVDにて鑑賞)