まだノミネーションの発表もされていませんが、多分(というか絶対)アカデミー賞の助演女優賞にノミネートは確実だと思われる「Precious: Based on the Novel Push by Sapphire / プレシャス (2009)」のモニークについて書きます。サイトで書いた文と重複する部分はありますが...
女優賞...という事ですが、彼女のキャリアはスタンダップコメディアンヌから始まります。といえば、Whoopi Goldberg (ウーピー・ゴールドバーグ)が思い出されます。しかしウーピーは割りと小さい頃から演劇団で演技をしていましたが、モニークはまさか自分が将来女優になろうとは思ってもみなかった筈です。というのも、メリーランド州の大きな都市ボルチモアで生まれ育ち、地元の大学に通い始めます。正統派の女優さんなら、大学で演劇等を取っていた人もいますが、モニークの場合特に演劇等を取っていた訳ではないようです。
大学を卒業せずに、テレクラ(のような感じ)で働くようになる。最初は電話相手をしていたが、出世?してお客と従業員の間に入って内容を確認するボス的なモニタリングをするようになる。その頃に兄のスティーブ(後にモニークのマネージャーとなる)に、地元のスタンダップコメディクラブのアマチュアナイトに出演する事を勧められる。大抵のコメディクラブにはアマチュアが気軽に参加出来る曜日が決まっていて、本当のアマチュアからプロのコメディアンを目指す人までが参加出来る。その最初のステージでスタンディングオベーションを味わったモニークは、スタンダップコメディアンヌの道へ進む事を決心。しかしすぐにプロとして花咲いた訳でもなく、電話会社に務めながら、プロへの道を模索していた。
そして人気番組のアポロ劇場の「ショータイム・アット・アポロ」や、BETの「コミック・ビュー」に出演。そして当時絶大なる人気で社会現象ともなった「デフ・コメディ・ジャム」に出演。徐々に人気が黒人の間で全国区になる。
人気ティーン・シンガーのブランディが主演のシットコム「モエーシャ」では、ブランディが扮する主人公モエーシャの親友キムの母親役ニッキーでゲスト出演。すると、1999年にはスピンオフでニッキーとキムがメインのシットコム「ザ・パーカーズ」が開始。ここから人気は急上昇。本家の「モエーシャ」は2001で終了したが、「ザ・パーカーズ」は2004年まで続いた。
その間にモニークは、スパイク・リーが監督した当時のスタンダップコメディアンの四天王「The Original Kings of Comedy / キング・オブ・コメディ (2000)」に対抗して、コメディアンヌ4人を集めた「The Queens of Comedy / 日本未公開 (2001)」をビデオで発表し有名となった。2003年にはBETアワードの司会を務め、ビヨンセの「クレイジー・イン・ラブ」のダンスをオープングで披露し、未だに話題にのぼる程の評判を集めた。
しかし、「ザ・パーカーズ」が終了した2004年を境に少し人気も下火を迎える。シットコムへのゲスト出演や、リアリティショーの司会などを務めるが、前のような評価は得られなかった。
そして2009年、モニークに注目が集まる事になる。2005年に「Shadowboxer / サイレンサー (2006)」で共演したリー・ダニエルズ監督が「Precious: Based on the Novel Push by Sapphire / プレシャス (2009)」にて主役の母親に抜擢する。この母親は娘が性的に虐待されていたにも関わらず、見て見ぬ振りをし、自分も娘に肉体的虐待をしている母親で、そんな役をモニークは体当たりで演じた。最初はインディペンデンスで公開される筈だったが、出展したサンダンス映画祭にて大賞を獲得。同時にモニークにも特別審査員賞が与えられた。その活躍に目をつけたのが、トークショーの名司会オプラ・ウィンフリーと、劇作家で映画監督のタイラー・ペリーだった。2人は映画の宣伝を務める事になり、タイラー・ペリーの全ての映画を配給しているライオンズ・ゲイトが映画の版権を獲得。2009年から全米で劇場公開される事が決定された。それを受けて、ゴールデン・グローブ賞やSAG賞などで作品賞と共に助演女優賞でモニークのノミネートされ始める。そしてそれらの賞で殆ど全てで受賞という快挙を成し遂げている。
モニークは更にBETにて自身の深夜トークショー「The Mo'Nique Show」を始める。こちらの番組も高評価を受けている。
そしてもうそろそろノミネーションが発表されるアカデミー賞。そこでの活躍が期待されている。