何だか今月は毎週のように映画館に通っているようです。お陰で映画館のポイントカードが溜まったので、この映画は無料で見れちゃいました。ラッキー。来週は2作も公開あるし!!嬉しい悲鳴。
という訳で、今週全米興行成績堂々の第1位。公開前には批評家等へのプレミアも一切なし、プロモーションも無し。そういう場合は大抵が期待出来ない作品だと言われている。この映画の場合、それは逆の意味での戦略だったのかもしれませんね。この映画、プロデューサーがウィル・スミスです。ウィル・スミスの制作会社です。今回の1位という事で、どんだけ稼げば気が済むねーん!と思うのですが、中々いい映画を作ってくれたように思います。でもウィル・スミスがこんな捻くれた映画を作るとは意外です。
この映画は「一周回ってきたな」という印象を受けました。でもその一周は綺麗な円じゃなくって、はな丸を描くときのような円。点と点が結ばれないあの感じです。映画の基礎と言われている「The Birth of a Nation / 國民の創生 (1915)」では、欺かれ悪役として描かれた黒人の姿。それからずっと悪役は黒人。犯人は黒人。または、コミックリリーフは黒人。でもヒーローは白人。
その間には黒人の生活がメランコリックに描かれる事もありました。ヒーローが黒人だった事もあります。でも白人もヒーローでした。それから時を経て、「White Man's Burden / ジャンクション (1995)」という映画が作られた。今までとは全く逆。
今回は差別する側が黒人であって、差別される側が白人。権力を行使するのも黒人。「White Man's Burden / ジャンクション (1995)」ともまた全然違うのである。
まずサミュエル・L・ジャクソンというキャスティングが最大の魅力。彼のクレイジーさは、この映画には必要。
後は感想に書いた通りなのですが、一つだけ補足。「彼が差別を受けてきから故の事。彼は権力を手に入れた時に、逆差別という行動に出た。」と書いたけれど、私はもちろんそれを良しとは思っていない。映画の中でのエイブルという人物を理解する為の文です。黒人にはやっぱり差別された過去というのがあって、白人が差別する側にまわるのとは、やっぱり意味がちょっと違うと思うのです。だから差別は良いとはもちろん思ってません。
この映画では、「インターレイシャル(異人種間の関係)」という言葉が皆を混乱させると思う。それは差別されたと思っている白人の男性クリスも同じ。「俺は黒人女性と結婚したから、嫉妬されて差別されている」のだと思っている。実際には、ジャクソンが演じたエイブルという男の過去に寄れば白人はあまり好きじゃないように思える。ただ、「黒人女性と結婚したからと言って、俺たちの気持ちを全て理解したような気持ちで居るなよな」という感情はあるようにも思えた。だからこそ、クリスが差別を受けた時にその気持ちを理解出来ずに被害者ぶって歯向かってくる姿が、エイブルにとってはもどかしくイラつくんじゃないかと思う。この辺の感情は差別という物に何度も苦渋をなめされてきた人間が理解出来る心情じゃないかと思う。初めては誰でも「何〜〜〜!」と歯向かえる。でも何度もとなるといつの間にか「諦め」と「許す」事を覚えてしまうのだ。でもあれが両方白人のカップルだと、2人して歯向かっていると思うのだけど、ケリー・ワシントン演じるリサもやはり「諦め」の方に心が動いているのが分かる(リサのパパも同様)。
と、中々捻くれているんです。この捻くり具合が、サミュエル・L・ジャクソンじゃないと無理なんじゃないかと思った。この映画は観客の考え方や映画の見かたが出る映画じゃないかと思います。
さらにこのレイクビュー・テラスは、LA暴動のきっかけとなったロドニー・キング暴行事件が起こった場所でもある。それについての公言はないけれど、彼の名前と「Can't we all just get along?」という言葉が出てくる。台詞も今までとは正反対になっているのが面白かった。サミュエルが「ほう、今度はRace Cardを使うのかい?」と言う。黒人であるが故に差別された事を主張すると、このRace Cardという言葉が使われる。今の選挙でもオバマが良く言われたりする言葉でもある。あと「一晩中、ラップを聴いても黒人にはなれないからな!」というのは笑えました。
しかし、こんな映画をウィル・スミスが作るとはね...意外です。
感想はこちら。
(4.75点/5点満点中:劇場にて鑑賞)